2012年9月8日土曜日

私の還暦過去帳(295)

『もと百姓が見たインド』

元旦はゆっくり寝ていました。外の通りも昨夜が遅かったのか、目が覚めた時
は、まだ静かで昨夜の雑踏の喧騒は有りませんでした。
朝は次男がコーヒーを入れてくれ、それからアメリカより持参した赤飯をお
湯で暖めて、インスタント味噌汁と沢庵で祝いました。
赤飯はパック入りで簡単に温める事が出来まして、熱々の赤飯をインドの
正月に食べるなど、二度と無いと箸を付けながら思いました。

午後にはムンバイ(昔のボンベイ)に飛行機で2時間で飛び、そこからまた、
45分程度飛んでAurangabad(アウランガーバード)に到着致し
ました。45分と言っても、汽車でしたらムンバイから7時間半も掛かりま
す。
デリーからムンバイまでは飛行機では2時間でも、特急列車ではかなりの時間
を要しますので、丸一日掛けて、それも寝台列車で揺られて行くなど、とても
では若い次男と付き合いきれませんので、飛行機を選択いたしました。

ムンバイ行きに飛行機を選択したのはそれが正解でした。
時間的、体力的にも楽チンで、デリーでゆっくり元旦を祝って家族4人で午
後から飛行場にタクシーで行きました。
次男の彼女も同行しましたのですが、4名でしたら車に乗るにも都合が良く、
旅は殆ど貸切の車を使いましたが、快適で早く、便利でした。

搭乗いたしましたのがインド国内便のエアー・インディアでしたが、サービス
も良くてサリー姿の乗務員が印象的でした。私もマジで至近距離で見たのです
が、サリーの中間辺りのお腹がチラリー!と見えるのです、JALでは考えら
れませんので、インドではサリーの制服はセクシーと感じました。

飛行機はムンバイ行きですから7割方はビジネス客と言う感じの背広姿が多く
て、他は観光客が多かったと思います。中に初めて飛行機に搭乗するかと思
われる中年の男性を見ましたが、どことなく、おどおどとしていて、通路を
隔てて座っていましたが、見ていて何か笑いがこみ上げて来ました。

飛行機が離陸する時に、何かお祈りをしている感じで、目を見開き、身体を
硬直させ、飛行機が安定飛行に入るまで、そのままの感じでした。

ランチが配られる時も、テーブルを乗務員がセットしてランチをそこに載せ
て居ました。その方もランチが終わってからは、飛行機の窓に額を付けてム
ンバイに到着するまで見ていました。私も48年前に、南米で双発プロペラ
機のDC3に搭乗した時に、同じ格好をしていたと思います。
その時は降下兵用の輸送機改造機でしたが、座席がキャンバス製の簡易
シートでした。

アメリカの国内便では搭乗時間が2時間ぐらいでしたらランチは無しで、欲
しい人はサンドイッチなどを買う事になります。それからしたらインドでは
正式なトレーに載せた美味しいランチも出ました。
勿論の事にインドですから菜食主義者の方が多いので2種類有りました。
私が食べたのは鶏肉のカレー煮でしたが、横にライスも付いて味も美味しい
物でした。
アウランガーバード飛行場に到着して、外に出ると手配していた車が待って
いました。その車で泊まるホテルまで行きましたが市内を通過して、20分
ばかりで田舎の3星クラスの宿でしたが、日本人もかなり泊まって居るよう
でした。到着したその夜はどこも行かずにシャワーを浴びて、食べ放だいの
南インド料理を食べに行きました。

そこの町でも有名なラストランでしたが、座ると大きなステンレスの大皿が
出てきてそこの中に8種類ばかりの料理が小皿に入れてあり、その一つでも
食べ終わると、すかさずまた料理を注いでくれました。
ボーイが小型の鍋を提げてテーブルを廻って居ますので、手で皿を隠さない
と、ポィー!と入れてくれます。

ナンとチヤパティーも食べ放題でドンドン持ってきます。隣では音楽が賑や
かに鳴り、沢山その町のローカルの方々が来ていました。家族でレストラン
の食事を楽しんで外に出たら、隣に韓国現代電気の新しい電化製品展示場
が有り、こんな田舎と思いましたが、大型スクリーンのTVが並び、これ
からのインドの先を見て、先行投資と感じました。

その店だけが大きなガラス窓のショールームで輝いていましたが・・・、
内心は心の中で、『韓国も味なビジネスをやるな・・・!』と思っていまし
た。

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