2012年9月7日金曜日

第3話、伝説の黄金物語、 (1)

 この物語の始めに、

小林富蔵こと、トミーが日本船から抜け出してブラジルのサントス港に降り
立ったのも昔の事で1925年頃です。

この話が始まるのは風来坊の富蔵が気ままに生きて、人生を謳歌していた
のは22歳の歳でしたが、彼の歳にしては大きな野望に似た心の思いがあっ
たと感じられます。

サントス港で朝早く出港前に、トミーが船から逃げる事を実行に移す前に、
すでに着替えや靴などは陸の港の外に隠してあり、体一つでいつものよう脱
走する事を考えて実行に移したのでした。

二ユーヨークに住んでいた頃に同じアパート隣人のイタリア人皮工芸人から
作ってもらったバンドには、ベルト中に金の隠し場所作ってもらい、またベ
ルトのバックルには小型のナイフが仕込んであるベルトを使用していました。

ベルトの中には金貨が10枚ほど入れてあり、命金として必ず持ち歩いてい
たが、今回の航海で花札博打で大儲けをして300ドルと言う大金を手にし
ていて、他の乗組員から狙われていたことも、今回の脱走に繋がった様でし
た。当時、一日の賃金が1ドル程度でしたから、かなりの金額と思います。

当時のブラジルは一攫千金を夢見る若者達が憧れていた土地でもあります。

金と度胸と若さが、ブラジルに夢を賭けてサントス港で脱走したとも感じま
すが、パスポートも無く、僅かな着替えと、さらしに巻いた刺身包丁一本を
腰に差してまだ夜も明けきらない時刻に船のタラップを降りて、警備の黒人
を擦り抜けて港を抜けると、港近くのバールに預けていた荷物から着替えを

出して靴も履き、サンダルとコックの制服を着替えて、ポケットに入れて来
た大きなお握りを食べながら線路を伝ってサンパウロの町を目指して歩き始
めたと、トミーが話していました。

二ユーヨークで覚えたスペイン語が、ポルトガル語を話すブラジルでも通じ
て言葉には余り困らなかった様でした。

彼が最初に考えていたのは皆と同じ大コーヒー園の農場主となる事だったよ
うですが、サンパウロでコーヒー園から夜逃げして来た人々から聞いた話で、
それはいつの間にか考え直して、サンパウロの日本町でコックをしながら様
子を伺っていた時に、当時の新聞などで奥地での金鉱発見の二ユースに踊ら
されて、ブラジル奥地で砂金の一山を当てる事を考えて旅に出たようでした。

当時のトミーは言葉もかなり話せて、金も豊かに懐に入れて、度胸も腕力も
備えた姿はかなり女性には、もてたと思います。
彼の行く先は何処でも女性が付きまとい、親しくなった女がいたようです。

サンパウロでも日本人街のレストランで働いていた当時に、そこで働いていた
小柄な可愛い沖縄からの移住者の女性と知り合い、自分の妹の様に可愛がって
いたと彼が話していましたが、その彼女が彼のブラジル生活を支え、励まして
トミーの子供を2人ほど生んで育てた様でした。

苦労人の彼女が沖縄人の忍耐と勤勉さで、小柄な体の何処から出るかと言う
様なエネルギーで働き、家族を養い、トミーの風来坊的な人生を支えた様で
した。
彼女の名前は絵美と言う名前でしたが、ブラジル式にエミーと呼ばれていた
ようです。

次回から当時の南米とブラジル世間の様子を混ぜながら、富蔵の物語を展開
して行きたいと思います。

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