2012年9月14日金曜日

第3話、伝説の黄金物語、(4)‏

 ブラジル生活の一歩、

富蔵はマリア親子がサンパウロに出て行って一人になり、離れの部屋に
その夜は寝ていた。
翌日は農家なので朝は早かった、薄暗い内から起きだしてきて、市場の
荷物の用意をしていたが、富蔵も朝は早いので起きて手伝っていた。

馬車に積み込みが終わり、畑の手入れに来た労務者が、奥さんの指示
で畑に農具を持つと出かけて行った。
コーヒーが出され、パンや果物などもテーブル並び、朝食を皆と食べ
ていた。

長男の正雄が『今日は父が仲間の会合に出るので、富蔵さん貴方が付
いて来て欲しい・・』と声を書けて来た。

富蔵は二つ返事で了解すると部屋に戻り、現金を扱うので用心に三朗
が持っていたデリンジャー拳銃を腹巻に隠していた。二連発の小さな
手の平に入る小型の拳銃で昔の西部の開拓時代に博徒達が使った護身
用の拳銃であった。

上原氏の両親に見送られて、まだ薄暗い道を市場に向けて歩き出した。
正雄は『ブラジル人の中で生活したら直ぐに言葉も覚えますから』と
言って話して居たが、富蔵もそれが正解と考えていた。

正雄は富蔵にポルトガル語を教えながら馬車をあやつり市場に着いた。

荷降おろしをして店が開かれ、馬車は専門で荷車を預かる男が引いて
行った。富蔵は店先で正雄に教わったように、掛け声を掛けてお客を
呼び込んでいた。富蔵の様な男には向いた仕事であった。

一時間もせずに数の数字を覚えて、秤の目盛りを読んでは値段を声を
出して叫んでいた。
若い女性の買い物客も多いので、富蔵には厭きの来ない仕事であっ
たが、時間の経つのが早く、売れた野菜が多かったので、遅くまで店
を開けている必要な無かった。

正雄は家で必要な物を買い込みながら馬車を迎えに行った。
その日は早目に終わり、馬車に荷物を積み込むとまだ混雑している市
場を抜けた。

正雄が『今日はお握りを食べる暇も無かった』と言って、お握りとお
茶を出してくれ、馬車の上で食べていた。
若いもの同士で話が弾み、身の上話から、妹の話など、富蔵も知らな
い話をしてくれた。しかし行き着く話は若いもの同士で、女の話にな
った。

正雄はこんな足で、まだ女の経験が無いと嘆いていたが、『結婚した
くとも肝心の男としての弾が無い』と打ち明けてくれた。

ジャングルの伐採作業で倒木に合った時に、右足に当った木の折れ先
が睾丸に刺さり竿は無事だったが、玉が潰されたと言って嘆いていた。

両親もそれが心配で結婚相手が探せない様だと話していたが、富蔵も
その話を聞いて、人の運命の奇遇さに驚いていた。

トコトコと走っていた馬が突然に棒立ちして、乗っていた二人は馬車
から振り落とされそうになり、売れ残りの僅かな野菜が少しバラバラ
と飛び散った。

富蔵は先日、市場の騒動で砂糖キビの棒で叩いた二人が仕返しに来た
と感じた。
今日は得物の長い棒と山刀を持って、誰も居ない道を二人が塞いで
いた。富蔵はとっさに『俺が相手するから、あんたは馬車から降りる
なー!』と叫んでいた。

馬車の御者台の下に入れてある仕事用の山刀を富蔵も握ると飛び降り
て、無言で対峙していた。
カボチャやマンジョウカを切る小振りの山刀は鋭く磨いであった。
相手二人は富蔵が無言で向かって行ったので、少し後ろにさがりな
がら、罵声を浴びせて、同時に富蔵に襲い掛かった。

一瞬の間合いを計り、振り下ろされる棒を二つに切り落として、返す
刀の背で相手の山刀を叩いていた。
『キーン!』と音がして火花が飛び、相手の山刀が吹き飛んでいた。

一瞬で決まった勝負に相手は呆然としていた。信じられないと言う
顔で見詰めていたが、正雄が手にする先を切り落とした散弾銃を見て、
慌てて逃げていった。

正雄がこの辺は余り治安が良くないので、用心に御者台の下に隠し
ていると話していたが物騒な話であった。正雄が感心して剣道の腕
を誉めていた。

富蔵も剣道4段の一等航海士に誉められるくらい、毎日練習してい
た甲斐があったと自分でも感じていた。
最初は食堂の仕事が軽くなるからと考えて居たが、後では面白くて
何も無い海原を走る船上では本当に良い運動であった。

船員の中には肥満の者も多かった。運動不足で不規則な勤務時間で
食欲も減り、体調を崩す人もいたが、富蔵は毎日激しい運動で筋肉
が盛り上がっていた。

事務長が教えてくれた空手と柔道は軍隊式で、まるで調練の様な
練習で、相手が皆逃げてしまい、僅かに残った中に富蔵は居たので、
だいぶ可愛がられていた。

そんな話をしながら家に帰宅したが、何か自分の肌に合った土地と
感じていた。
夜になっても正雄がポルトガル語を教えてくれ、両親も日本語の
話せる同じ年齢の仲間を長男が得たことに喜んでいた。

上原氏家族はブラジル移住してくるまでは神戸に住んでいたので、
標準語を何も不自由なく話していたが、時々奥さんとご主人が沖
縄弁で話していた。
富蔵や子供には標準語で話していたが、時にはポルトガル語が混
じる事があった。

富蔵はブラジル生活の出発に良き場所で、良い家族に出会ったと
感じていた。

翌日も正雄の希望で富蔵と二人で市場に行き、店を出す事になっ
た。その朝、上原氏夫妻は富蔵を呼んで次男の身分証明書を渡すと、
『次男の富蔵になりなさい・・・』と渡してくれた。

日本大使館には次男の死亡届けを出したが、ブラジル現地の役場
には出してはいないから、この身分証明は何も問題が無く使える
と説明してくれた。

ノロエステ線奥地の入植地の役場など、誰も日本人入植者が遠く
の土地に移動しても、詮索する事などありえない話だと富蔵に説
明してくれた。 

そして・・、上原家の家族が貴方を次男の富蔵と言えば、それで
全て終わりだと念を押してくれた。

富蔵にはその言葉の意味を心に深く感じていた。
そして、富蔵は上原家でこれからの南米で人生を過ごす現地の
基本を学ぶ事になった。

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