2012年9月23日日曜日

私の還暦過去帳(302)


 『もと百姓が見たインド』

大学の先生の案内で、あれー!と驚くような現場を案内して、見せて頂き
ました。
昔の人も、そそっかしい人が居たのですね!
と言うのは私達では先ず探してみる事は出来ない場所でしたが・・・、
これは貴重な現場です、狭い作りかけの石窟の小部屋の壁が、ぽっかり
と20cmぐらい穴が開いているでは有りませんかー!

中に入り、そこからお隣の石窟を覗くと、お昼の照りつく太陽に照らされ
て、外の様子が見えました。さぞかしその小穴をぶち抜いた職人は腰を
抜かしたと思います。
何世紀も前のハプニングですが、硬い石です、まさに昨日の様にその
ままの状態でした。

私も貴重な現場をカメラで撮影しておきましたが、そこの穴から見える石
壁に刻まれた仏様の姿が綺麗で心に焼きついています。
何となく体の曲線とバランス良く刻まれたお姿が京都などの寺院で見る
仏像の姿と一致して、感慨に耽っていました。

私も30窟もある石窟で2ヶ所有ると言う事で、両方とも見せていただき
ましたが、貴重な現場でした。大学の先生に感謝する、我々にも分かる
説明で、いっそう詳しく理解する事が出来ました。

やはり英語のガイドより、日本人の専門家が、日本語で分かりやすく説明
してくれるのですから、これは貴重で、滅多にない現場講義と感じました。
これだけの遺跡です、その数も多い事ながら、それを研究する対象として

生涯の時間を必要とする史跡として、インドの歴史的背景、民族的流れと
南インドの政治的背景、色々な石壁に刻まれた仏像とその関連する幾多
の彫刻、色彩壁画、時代時代に変化する模様と緻密に歴史的な物語を語
る壁画と彫り物、全てがアジャンターの遺跡の石窟群を飾る世界に誇る物
なのです。
ここを研究題材とした人が『人生を賭けても計り知れない大きな歴史の流
れを感じる』と言う言葉こそが、アジャンター遺跡の大きさと規模の素晴ら
しさを感じさせるのでした。

特に第1窟の奥、中央に鎮座される釈迦像は遠く日本の法隆寺金堂内陣
の装飾にも関連した、そのオリジナル的な存在があると学問的に立証され
ている事は、第1窟の天井にペルシャからの使節をを接待する壁画が残っ
ていることから、シルク・ロードを経て日本までその釈迦像の影響があった
と思うので有ります。

歴史を見て、日本から現在の世界でも遥か遠い南インドのアジャンター遺
跡です、昔の時代からしたら、気が遠くなる距離ではなかったかと考えて
感慨に耽っていました。

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