2012年10月18日木曜日

私の還暦過去帳(313)


『もと百姓が見たインド』 

インド訪問で、2度目の仏教巡礼の旅には、ワイフと二人で旅に出ました。
次男が首都デリーの現地旅行社に仏教聖地の旅を設定してもらい、私の注文
も入れて無理の無い旅で歩く事に致しました。

1月7日の朝は次男も仕事が始まっているので、私達二人で飛行場に行きま
した。朝は軽く、コーヒーと果物ぐらいでアパートを出ました。

通勤で混雑する上り車線を反対に見ながら郊外の飛行場まで余り混雑する事
無く到着いたしました。前回訪問した時からしたら、高速道路もだいぶ出来
上がり、酷い渋滞に巻き込まれる事は在りませんでしたが、飛行場では

発着便がデリー周辺で冬場に発生する濃い霧のために、ずらりと軒並みに発
着が遅れていました。隣のベンチに座って居るインド人に聞いたら、もう3
時間も待っていると言う事でした。私等も仕方が無く、朝は簡単でしたので
何か腹に入れておかないとランチ時間がズレると考えて、構内レストランの
中に在りました、メキシコ料理のタコスに似た軽食を食べる事に致しました。

待合室は発着が遅れて、ベンチに座れない様に沢山の待合客が溢れていま
した。隣に座っているインド人が、冬場、デリーの飛行場では珍しい事では無
いと言って、チャイのカップを持って、新聞をのんびりと読んでいました。
飛行機は11時発でしたが、遅れて午後1時30分に搭乗いたしましたが、

管制の離陸の指示が無くて、機長がアナウンスして乗客に謝っていました。
『視界が悪くて真にご迷惑お掛けいたします・・!』と再度放送していまし
た。その内に、乗客が『ランチはまだか?』と言う事で、離陸もしないで、
滑走路に止まったままで、機内食が配られました。

私の予測が当たりまして、空腹では在りませんでしたが、他の乗客は機内
食を当てにしていた人は、やっと2時半になり配られた機内食に有り付いて
食べていました。すると・・、機長が『なるべく早く食べて下さい・・!』
と放送して、乗務員が慌てて食べ終わった人から、ドンドンとお膳を下げて
行きます、
一転して何か緊張が走り、乗務員達がサリーのすそをひるがえして行き来し
て、配膳を片っ端からコンテナーに収納して廻っていました。
食後のお茶や飲み物も無しです・・、あたふたと乗務員が座席のテーブルを
たたんで廻り、その頃には機外でジェットエンジンがキーン!と唸りを上げ
る音もしてきました。

しかし、乗務員達もすばやいもので、あれよあれよと言う間に配膳を両手に
抱えてダッシュー!していました。私も、やるなー!と感心して見ていまし
た。その時はすでに飛行機は滑走路を走り始めていた様でした。
外では全開したジェットエンジンがグワー!と吼虎するように鳴っていまし
た。
私も先ほどまで目の色変えて走り回っていた乗務員達がどうしているか周囲
を見渡しましたが、シーン!として座席の上に人の頭が見えるだけです。
何と・・、私の時計を見たら、2時45分です、これには驚きました。

15分の早業です、どちらかと言うとスローの印象が在るインドですが、見
直しました。しばらく飛んで、シートベルト解除のサインが出たら、直ぐに
乗務員が『チャイー!如何ですか?、コーヒーは如何ですか・・?』と来ま
した。先ほどまでの騒ぎはどことやら・・!笑顔でコーヒーを勧めてくれま
す。
ホッとしてコーヒーなど飲んでいたら先ほどまでの緊張開放で少し眠くなり
ウトウトしていたら、Patnaに到着すると放送が有りました。すると希
望者のみにスナックの箱が出され、チャイも配られていました。
時計を見たら4時間ぐらい飛んでいたのでした。

6時30分頃、まだ夕暮れの明るさが残る飛行場に着陸して喧騒の人がごっ
た返す出口に出ると、私の名前を書いたサインを掲げて迎えが来ていました。
やれやれ・・!と荷物を渡して、迎えの車に乗り込むとRajgirまで4
時間とか運転手が話して、街道を疾走始めました。渋滞の市街を抜けるまで、
いやと言うほどの排気ガスを吸わされ、またもや、これインドと再認識させ
られました。

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