2012年10月20日土曜日

私の還暦過去帳(314)

『もと百姓が見たインド』

Patnaに到着してから 6時30分頃、喧騒の人がごった返す出口を出てか
らRajgirまで4時間とか、運転手が話して市内を走り出して、直ぐに感じ
たのは飛行機の中で降りる前に出された、スナックの食事を食べていて
良かったと言う事でした。

半日も時間的に遅れて搭乗していましたので、それで十分でした。
運転手は飛行機が遅れることが放送されて、腹ごしらえは十分に済んでいる
様でした。市内を抜けるまでの混雑はヒデー!と思うぐらいに細い街道に大型
車がひしめいていました。大型トラックが凄い黒煙を上げてジーゼルエンジン
を響かせて、隊列で5台も並んだらお手上げです。

ノロノロ運転で一度停止すると、トラックの大型車は動き出すのに、またノロ
ノロと、それに行列しているトラック隊列が、金魚のウンコの様にゾロゾロ連
なり、動き出すには、かなりの時間が必要でした。

これだけの混雑の街道が、対向二車線しか在りません、これには驚きました
が、町外れに来て、混雑の切れ目に、その国道の街道沿いに並んだバラッ
ク小屋で、多くの人が夕食の炊飯をしている様でした。
電気は無くてランプの光の様でしたが、街道にお尻を向けて、それも側にカン
に入った水を置いて在ることを見れば、まさに用便中と思いましたが、それが

何かのどかで、騒音も排気ガスも、人の視線も、我関せずの『考える人』です。
これもまさにインドと言う事を実感として感じましたが、すれ違う大型バスに
満載された人間が、時にはバスの屋根に積み上げられた荷物の上まで乗車
している様が、もっと迫力あるインドの光景でした。

良く見ると、何か鍋の様な物を抱えて、食事中の有様・・、時々鍋の中に手が
突き込まれ、バスの屋根の上で、渋滞の混雑を尻目に食事をしているインド人
には、さすがの私も口をあんぐりとして眺めていました。

何を食べているかは分かりませんが、すれ違いの僅かな時間に眺めたら、
かなり多いのがサトウキビをかじっている様な人もいまして、道端の露天の屋
台から湯気が立ち上り、周りに労働者風の男達が何か食べている様な感じの
所も有りました。
皿を片手に、手で食物を口に入れている所を見ればインドカレーと感じました。
この渋滞でインドの田舎道で見た夕暮れの世相が、まさに肌に直に感じたと
思いました。
私達が乗車した車はその渋滞を抜けると、外灯も無い国道を疾走して行きま
したが暗闇にヘッドライトの明りの範囲しか見えませんが、暗闇の中に地面に
寝そべる牛や他の家畜の目が光るのを見ました。運転手が話してくれました
が、電気も無く日が暮れると、夜はテレビも無い生活で、寝る他は無いと話し
てくれました。

粗末な小屋の前でカマドに薪を燃す明かりが、チラチラと揺れて、そこに大き
な鍋が載せられて、周りに家族が座っている姿が見え、乳飲み子が母親に
抱かれて哺乳をしている姿も見ました。いくら電気が引かれていない田舎で
も人々の生活は営まれていると感じました。

途中一度、休憩で明るく電燈が輝くガソリンスタンドに停車して、トイレを借り
ました。裏に廻ると、ジーゼル発電機がトントンと動いており、屋根の在るトイ
レも水洗でした。しかし丸い穴が在るだけの田舎風の素朴な物ですが、水道
とホースが用意され、終わったらご自由にお使い下さいという感じでした。
田舎で見たトイレとしては綺麗な水洗トイレでした。

一休みして、ボトルの水など飲んで、あと僅かになったRajgirの法華ホテ
ルまで直行すると運転手が話していました。10時近い夜にガソリンスタンド
の水銀灯の輝く明かりに、昆虫が渦を巻いて飛んでいたのには驚きでした。
車が街道に出る時に、大型トラックが数台連なり走りすぎて行きましたが、
どこでも見られるTATAの大型トラックが、今のインドの経済を支えていると
思いました。

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