2012年11月2日金曜日

私の還暦過去帳(318)


『もと百姓が見たインド』

日本寺の夕方の法要を終わりまして、ホテルに帰って来ました。
永い間正座した事がなかったので、それは大変でした。
最後のほうはビリビリと来るシビレで、足が麻痺状態でしたが、
子供の頃に仏壇の前で父がお経をあげる声を聞きながら、座って
いたのを思い出していました。

夕方の法要が終わり外に出て階段に座って、しばらくはシビレが
治るのを待っていました。
ホテルに帰ってしばらくは、お土産屋の日本語の上手なラフル氏
に借りたパソコンでメールを見ていましたが、超スローな接続で
イライラを通リこして、これもインド流の現実とあきらめて見て
いました。

それでもメールのジャンクを消してしまい、何とかすっきりさせ
て夕食にしましたが、パソコンを借りましたので、夕食に招待し
てホテルのレストランで食べる事にしました。彼等もお店を閉め
て遅い夕食と考えていましたが、インドでは普通の時間だそうで
した。
いつもは母親が家から使用人に持たせる、夕食の出前を食べるの
だそうですが、『今日はご馳走になります』と、楽しく話しなが
らの食事でした。彼等はスープにメキシコ料理のブリートの様な
中に沢山の具が入った薄い小麦粉で作った皮のロール巻きの料理
を食べていました。
私達夫婦は野菜チャプスイとワンタンスープで軽い食事としました。
食事をしながら当地の地名も現地での書き方はBODH-GAYAと書くと
話していましたが、私が旅行案内で見た書き方はBUDDHA-DAYAと書
いてありました。一つ勉強になったと感じました。

一番多い訪問者はやはりブータンや、ネパール、チベットなどから
の巡礼訪問者で、2番目はタイからの訪問者だそうでした。
飛行機で2時間と、BODH-GAYAのインターナショナル飛行場に来る
事が出来るので、タイからは四季を通じて参拝者が来ると言う事で
した。
台湾や日本からも多くの仏教徒の参拝者が訪問してくる様で、どこ
を見ても、この街中をどこを歩いても、沢山の東洋人が歩いていま
した。
その夜、お待ちかねの大浴場の日本式お風呂でしたが、一緒に食事
をしたラフル氏が、『団体さんが終わったから・・、』と声を掛け
てくれました。
彼が話してくれたのは、『団体さんはご婦人の団体で、お風呂の入
り口は『女湯』と書いてあるが心配なく入れます・・!』と言う事
で、ワイフが確認の為に先に入りましたが、中は湯煙の中に大浴場
にお湯を溜めてありました。
久しぶりにインドの田舎のホテルで、たっぷりとしたお湯に首まで
浸かって銭湯気分になれた事は初めてでしたが、おそらくこんな事
は温泉ではあるかも知れないが、沸かした大浴場に入る事はないと
思いました。
おかげで湯上りは長湯が過ぎて、しばらくは汗が止まりませんでした。
部屋に帰ってからも、お風呂の効果は抜群で、洗い立てのパジャマで
ぐっすりと寝ることが出来ました。

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