2012年11月18日日曜日

私の還暦過去帳(323)


『もと百姓が見たインド』(最終回)

バナーラスの市内は沢山のインド中から聖なるガンジス河で沐浴をして、
全ての罪が清められ、遺灰をガンジス河に流すと輪廻からの廻脱を得ると
言う、ヒンズー教の教えを固く守る人々が押し寄せて来ます。

年間、訪れる巡礼者の数が100万人を超すという事を聞きました。
同じインド人でも雑多な人の群れがうごめいています。
我々の視野からしたら3000年の歴史を持つ、ヒンズー教最大の巡礼聖
地としての街です、インド中から集まる人々が醸し出す雰囲気は、まさに
インドと言う事を肌で感じさせてくれる場所です。

今朝の早起きで、午後はゆっくりホテルでランチを食べて、午後1時過ぎ
に迎えが来て、飛行場に行きました。
市内を抜けて、飛行場では簡単にチェックインを済ませて待合のロビーに
座っていましたが、丁度、タイからの皇族が専用機で来ていた時でした。

隣の貴賓室での接待の様でしたが、あわただしく行き交う人が多く見え、
赤い絨毯がひかれて皇族が飛行機から降りてこられました。
後ろで日傘を差して侍従と歩いている姿を見ましたが、滅多に見ることも
ないタイ皇族の姿を見学出来ました。

予定より30分遅れてデリーの首都に帰って来ました。
次男が迎えに飛行場まで来ていました。旅行社手配の車が来ていましたの
でタクシーに乗る事も無く、次男のアパートに帰宅いたしました。

荷物をおいてから、一休みすると次男が美味しい中華レストランが在ると
言う事でタクシーを呼びました。
次男が英語で話すと、レストランまで450ルピーと言う事で、余りの高
額な要求で電話を切って、今度はヒンズー語でもう一度話すと380ルピー
と言う事でしたが、しかし、今度はタクシーの空車が無いと言う返事でした。

次男もヒンズー語で何か怒鳴っていましたが、タクシー交渉は決裂して、
近所のオート・リキシャを頼みました。何と150ルピーです、パタパタと
道の隙間を抜けて行きます。このオート・リキシャに乗ると、インドを肌で
感じます、今度の旅でも何度も乗りました。

そしてインドの自動車社会の幕開けを告げる国民車の記念する日に立ち会う
事が出来ました。
インドの3億人近くも増えた中間所得の階層を目当てに、徹底した低価格で
販売される、インドの大手自動車会社のTATA社がインド国民車として発
表した超低価格車「Tata Nano」の発表を見る事が出来ました。

歴史的なインド庶民の自動車社会の幕を開いた企画的な日でした。
どこのTVを開いてもその報道をしていました。
以下は報道記事より、

2008年01月11日
ついに噂の約27万円の超低価格車「Tata Nano」が発表されました。
インドの自動車メーカー「タタ モータース」が開発した超低価格車
「Tata Nano」が発表されました。
そのお値段はなんと2500ドル(約27万円)。2008年中にインドで販売される
そうですが、いつか日本では発売されるのでしょうか?

詳細は、以下から。
パワステ、エアコンを排除したりなど、その他いろいろと徹底したコスト削減
を行った結果実現した超低価格のようです。

「Tata Nano」のサイズは、長さ3.1メートル、幅1.5メートル、高さ1.6メートル、
そして、エンジンスペックは、後輪駆動、オールアルミニウム、2シリンダー、
623CC、33馬力となっており、日本の軽自動車の規格にとても近いものにな
っているようです。

「Tata Nano」公式ページ
Tata Motors - Media Centre

Tata Nano: The $2500 Tata Nano, Unveiled in India

中華レストランに行って食事をしながら、少しその車の事を話していました。
私は1960年代に日本でも旋風を起こした低価格車「スバル360」を思
い出していた。1958年から70年代まで生産され、日本でマイカーと言う
言葉を生み出した356ccのエンジンでしたが、大人が4名乗れる軽自動
車でした。

翌日はいつもの様に起きて朝のコーヒーが済むと帰りの荷作りをしていました。
その後は次男と連れだって近所のバザールに買い物に出て、少し日用品や靴
などを買い、次男に靴をプレゼントしてやりました。
この歳になってもやはり子供は子供です・・、喜んだ顔を見て次男の子供の頃
を思い出していました。

いよいよ明日は帰国です、外の雑踏から物売りの遠くまで響く声を聞きながら
仕事をしていました。ランチは次男が美味しい炭火焼のピザを食べたいと言う
ので街に出ました。行列が出来るほどの店で、のんびりと昼下がりの時間を
テーブルで次男と話しながら最後のチャイまで飲んでいました。

その夕方もアフガニスタン風の焼肉をホテルに食事に出ました。次男は余り
肉などは食べれられないと言うことで、予約していったホテルのレストランは
接待とビジネスのお客で満席でしたが、各テーブルから話す言葉も英語、ロ
シア語、日本語、、スペイン語と賑やかで、現在のインドの姿を象徴している
と思いました。
家族で満足するお別れパーテイを兼ねた夕食でした。帰宅してウイスキーで
乾杯して、明日の別れを惜しみました。精神的に成長した次男を見て、インド
人社会に入り、多くの同僚と仕事をする姿を知り、親として子供の成長を感じ
ました。

翌日は早朝に起きて、迎えのタクシーまで簡単に朝食を済ませて次男とコー
ヒーを飲みながら話していました。迎えの玄関ベルが鳴り、車に乗り込みまし
た。
運転手は街角のヒンズー教の祠の様な所に停車して、私達の長旅に祈って
くれました。小さなココナツの、神に捧げられたおすそ分けを頂き、飛行場に
急ぎました。
前回からしたら格段に良くなった高速道路で予定どうり飛行場に着き、タク
シーが長く停車出来ないので入り口で次男とハグをして別れをする時に、次
男の髭顔が少し涙ぐむ感じに歪んだのを感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム