2012年11月14日水曜日

私の還暦過去帳(322)


『もと百姓が見たインド』

1月11日は早朝に目が覚めてホテルを6時には迎えの車に乗り、ガン
ジス河の岸辺に出かけました。朝はインド・チャイを1杯飲んで出かけ
ました。
7時頃の日の出を見る為です。それから河を遊覧して船上から河岸など
に並ぶ家々の景色をみて、上流と下流に在る、大火葬場を見る事を考え
ていました。

早朝のまだ人通りの少ない街中を走ります、しかし、ガンジス河に近ず
くに連れて、かなりの人が列を作り歩いています。皆は手に手にガンジ
ス河の水を入れる容器を持ち、花輪を持ち、僅かな手荷物を肩に、裸足
やサンダル姿で歩いていました。

女性達の色鮮やかなサリーの色彩が黙々と歩く集団の中で際立った色を
添えています。ガイドが車を止めて『ここからは歩く・・』と言って先
にたって案内してくれました。
道の両側は屋台が立ち並び、チャイや朝食の臭いもしています。
バナナやオレンジ、マンゴーなども並んでいました。
そこを抜けるとガンジス河が突然前に見えました。どこからとも無く祈
り声が響き、河が見える場所には行者が座禅を組んで静かに朝日が昇る
瞬間を待っているようでした。
案内されて船に乗り込み、若い船頭が船を漕ぎ出しました。
微かに、ぎー!と力を込めて漕ぐ音が静かな河面に響きます。

まだ時間的に早いのでボートが団体を乗せては漕ぎ出してはいませんで
した。トロリとした波一つ無い水面を滑る様に走ります。
途中で『久美子のゲストハウス』の看板が在る建物を見ました。その近
くの岸辺には数人の日本人の姿も見えました。

火葬場辺りからすでに無風の水面に薄い煙がただよっています、すでに
早朝から火葬が行われているのでした。直ぐ側の岸辺では数人の男が
河に全身を浸して何か祈りの言葉を唱えています、その上の岸辺の石畳
の上には、担架に載せられた遺体がガンジス河の聖なる水に浸されて、
濡れたままで火葬を待っていました。

船上で見ていると、すでに火葬が終わった遺体の灰が河に投げ込まれて
いました。それを遺族と思われる家族が周りで両手を合わせて見ている
のが分かります。側にうずたかく積み上げられえた薪が次の火葬を暗示
していました。
祈りの声が水面に響き、微かに水面が色付いて朝日の輝きが増して来ま
した。人間が自然にまた帰る儀式かも知れません、何か心の中で輪転再
生が自然を仲立ちにして動いていると感じた瞬間でした。

母なるガンジスの流れは全てを消し去り、5分もしない内に河は何事も
無かったように流れています、遠く異国で命を終えても、その遺骨をこ
の河に流す人が多いと聞いた時は、インド人が心の中で、祖国の母なる
台地に帰る願望かもしれません、悠々と流れるガンジス河が肥沃な土地

を作り出し、人の命を養う穀物を生産して、人を育て、また死んでいく
自然のサイクルを持っています、輝きを増して河の水面を照らす朝日に、
私も両手を合わせて祈りました。

その頃になると団体が、かなり船に乗り込み水面を走り出して賑やか
になりましたが、私達夫婦はガイドと3名だけでしたので、心静かに船
の上から時間を過ごす事が出来ました。

帰りは旧市街の迷路のような小道を歩いて表通りまで出ましたが、その
小道の中まで牛が歩いて居たのには驚きました。

チャイ屋の前には素焼きの小さなコップが飲み終わった後に一度きりに
割られて捨てられて居るのを見ました。ゴミゴミした感じの路地でした
が、生活の臭いと、所々に祭って在る神々の姿がヒンズー教が生活に染
み込んでいる事をこの目で見ました。
路地から表に出ると、そこは活気在る庶民の姿がいつものインドの太陽
の下で始まっていました。

ホテルに帰り遅い朝食を済ませると、部屋で今朝、多くの今までに体験
した事が無い様な出来事を思い出しながら、うとうととして休んでいま
した。

次回で、『もと百姓が見たインド』最終と致します。
その後は、私が48年前に青春の一時期を過ごした各地を訪ねて歩く予定
です。友や知人の多くは、南米の異国の地に眠っているので、その墓を
参る事も目的の一つです。
過去と現在の違いを旅先から書く予定です。

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