2012年7月26日木曜日

私の還暦過去帳、(275)

ここアメリカに住み着いて35年が経過しました。
子供達も育ってしまい、今ではワイフと二人です。
時々サンフランシスコの日本町に買い物に出ます、近くに老人ホーム
があるので、かなりの確立で年配の方達がコーヒーショップで座り込
で何か楽しそうに話しています。

ニジヤと言う日本食品のスーパーが有りますが、ランチタイムには、
どことなく沢山の、これまた年配の方達が来てランチ弁当を買ってい
ます。それとお惣菜の小パックを3~4個も買っている婦人の姿を見
ると、まだご主人が健在と思います。

細かなパックですが日本人にはありがたい惣菜が沢山有ります。
きんぴらごぼう、チキンの一口から揚げ、煮物、おからを煮た物が有
りました。私も歳を取ると日本食を良く食べます。

昔、アルゼンチンで一世の方が白人と結婚していた人が、食事の後
に、冷蔵庫から冷のご飯を取り出して、お湯を通してお茶漬けを始め
たのには驚きました。

手馴れた感じで、『これを食べないとお腹が一杯に成らない・・』と
言って、勿論の事に沢庵と佃煮が並べて有りました。
その人はブエノスで資産家の屋敷に住み込みの運転手として、永年仕
事をしていた様で、そこで知り会った白人のお手伝いさんと結婚した
様でした。

当時はタクシーの運転手をしていましたが、奥さんは彼がお茶漬けを
食べるのは、あたり前のように見ていました。
夫がお茶漬けを食べないと元気が出ないと笑っていましたが、仲の良
い夫婦でした。

アメリカで、中には奥さんが冷蔵庫に沢庵を入れることさえ拒否する
白人のご主人がいます、かろうじて調味料の味噌・醤油だけは文句を
言わないとこぼしている人を知っています。その奥さんは日本食が食
べたくなると外食に出て、日本食レストランに出かけるそうです。

今ではどこでもお寿司も食べられる様になり、味の差は有りますが大
抵の料理は外で食べる事が出来ます。

アメリカ人の様に肉とポテトとサラダでは、私にはとても耐えられま
せん。私も世界中を歩いて、やはり食べたくなるのはお味噌汁とお蕎麦
でした。
『お天道様と米の飯はどこでも付いて回ります』しかし・・、味噌汁は
時々困るときが有りました。無性に豆腐とネギと油揚げが入った熱い
味噌汁が飲みたくて、アルゼンチンの北部のボリビア国境からトラック

で、トマト出荷で出て来る時は、内心はウキウキして運転しながらブエ
ノスまで来ました。荷降ろしが済むと、日本人会の食堂に行き、お刺身
定食でお味噌汁のお代わりをして食べていました。
お腹にたらふく食べた満足の幸福感を得ると、どこと無く幸せな気分と
なった覚えが有ります。
ツーンー!と来る美味しい味噌汁の香りが、私には何よりの好物です。

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