2012年7月16日月曜日

私の還暦過去帳(270)

アメリカに住んでいると日本食に関連する事が色々有ります。
カリフォルニアに来た当時は、私がアメリカに来て35年も前ですが、
その当時、かなりの数の、一世達が元気で活躍していました。
お会いした時に、昔の食生活の話を聞く事が出来ました。
どこに住んでも、日本から来た人間には日本食が付いて廻る事があたり
前の様でした。特に農業に従事していた日本人達は

工夫して、いかにして調味料を探すか?
どこから材料を集めて加工するか?
無ければ代用品をどのように探すか?
それをいかにして保存するか?

それぞれ、知恵を絞って考えて居たようでした。
当時の1920年から30年代の田舎です、独身の男性達は、ボーデン
グハウスと言う下宿屋で寝起きして、仕事を探し、働いていた様ですが
全て日本食とは限らなかった様です。
コックが中国人で中華料理も食卓に出ていた様です。それを見て学んだ
日本人のコックがアメリカ式日本料理と言う新分野を開拓して、独特の
味と、米と調和するおかずが出来上がったと思います。

下宿屋では朝はコーヒーにべーコンとハムにトーストでの朝食も多かった
様ですが、中国人のコックが居る所では朝食にお粥が食卓に出ていた時も
あった様でした。お粥でしたら、日本人の口にも合いますし、調理するの
も難しくは有りません、日本人が郷里の田舎で雑炊に餅を入れて食べた

様な事が普通でしたので、中国人のコックが日本人が『大根餅』と言う
中国式餅を日本人が喜んで食べる様な物も作って居たようでした。
昔のアメリカの一世達が苦労して食べた日本食が、今では航空貨物で旬の
サンマや、梨や薩摩ミカンなどが運ばれて来て、簡単に普通のアメリカの
スーパーでも買える様に成りました。

現在では今昔の格差が有ります。
今ではスパーでマグロの切り身が、ベトナム産とかフイリッピン産の野生
マグロとして、産地証明付きで売られています。一昔では考えられない事
です。
20年前はハワイ産のカジキマグロなどが安くスパーで特売した時に、塊
で買い、お刺身で食べていました。その時ぐらいです・・、今ではいつで
も食べる事が出来ます。

昔の一世が他州の沿岸部から離れた所で線路工夫や森林伐採などで仕事を
していた当時は、よほどの大病などしないとお粥など炊いて、日本から来
た梅干を出して、海苔の佃煮でも添えて食べることは出来なかった様でし
た。
今ではサンフランシスコ日本町のスパーで、弁当や惣菜の専門コーナーが
有り、菓子類や日本酒も溢れて陳列ケースに並び、それをアメリカ人が買
っている姿を見ると、時代の変革の大きさに驚きます。

そして陳列してあるお寿司のプラスチック・パックから、中の寿司を1個
をチョイと・・・、
『つまみ食い? 万引き?  味見?』
とかして、白人がちょろまかしていると言うことを聞いて、これまた驚き
でした。

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