2012年7月20日金曜日

私の還暦過去帳(272)

私もここに住み着いて35年が過ぎて、南米時代を含めると
かれこれ人生の半分以上になります、サンフランシスコ郊外に
住んで沢山の人とも知り合い、また仕事の関係でも幅を広げました。

私の様に、この年齢となると多くの人との別れが有ります。

また時代の変革と前進と挫折と様々な過程の分解の道行きで
アメリカの終末精神が生まれ、育ち、また衰えて行くと思います・・、

去年と今年に入り、また多くの友人や、仕事仲間が亡くなりました。
35年以上の付き合いの方も居ました。ふと自分自身を考えると、
その時代に人が生まれ、成長して、家庭を持ち、また一人になり
無の世界に戻るように循環していると感じます。

戦前の昔の時代では南米やアメリカの地で亡くなって、遺骨として
日本に帰国する方も居ました。しかし、多くは現地の住み慣れた
土地に骨を埋めて居る方が殆どです。

かなりの日本人が第二次大戦後にアメリカに、ご主人と移住して
来た方は今では80歳となる方が沢山住んでいます。引退して老人
ホームでの余生を過ごしている方達です。ご主人を亡くして一人住
んでいる方も居ます。

また、全てを処分して日本に帰国して、兄弟の所に最後の永の住み
家を定めた方も沢山居ます、それぞれが運命の流れに逆らう事無く
動いていると私には思います。

現在では若い留学生や日系会社に派遣されて来た駐在員などが
カリフォルニア州にも沢山住んでいますが、住み分けされて、時代
区分され、同じ日本人でも見えない壁と溝で区分されている感じが致
しますが、日本から配遣されて来た人々は日本を永の住処と定め、
いかなる困難も排除して、最後は日本に帰国して行きます。

僅かな人がアメリカに順応して、子供の教育や自分自身のこれから
の人生を賭けて居付いていますが、しかし、そこには日本人の心の
格差と差別に似た溝を感じます。

同じ日本人でも格差と感覚的時代異差の狭間にはまり込んでも、華々
しく活動して動き廻っている人。

教育と年齢的なギャップでアメリカの異国文化のルツボにはまり、
のたうち、苦しみ、最後は溺れて最低の底に沈んで沈殿している若
い人。

異文化を拒否してアメリカに東洋文化の精神を水の中の脂の如く漂
わせてメリケン文化に漂泊の木の葉の様に浮かんで流されている人。

このアメリカの地を永の住処として骨を埋める覚悟を決めて、人生
いたる所に青山有りの心で、のんきな生き方を選んだ人。

人様々な生き方でも、過ごし方でも・・、それぞれの人生、悔いな
く生きる事は人生の花道と感じている人。

若者が老いて年寄りになり、年寄りが老いて死の旅立ちに出る様に、
人生模様の流れが、このアメリカに住んでも目の前を流れて行ます。

ある方は・・、
野辺の送りに、50年も過ごしたカリフォルニアの青空の下で家族だ
けのささやかな別れに、平凡で幸せだった人生を見る様な感じが致し
ます。

その人の今までの道行の豊かさが、家族で歌う賛美歌の様な別れの曲
に込められて居ると思います。

心に染みるその曲の名前は・・、

『千の風になって・・・』

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています

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