2012年7月2日月曜日

私の還暦過去帳(263)

子供の頃、夏の夜は縁台で、近所の古老の話を聞くのが楽しみ
でした。
その頃はまだTVも無くて、ラジオが唯一の娯楽で、NHKの
喉自慢の放送時間となるとラジオの前で良く聞いていました。
その当時は60年も前ですから日露戦争で出征した人がまだ生
きていました。

今からすると百年も前の話になります、古老が戦場でロシア軍
の当時発明されて実用化された機関銃に最初に対峙した時の話
をしてくれました。子供心に緊張と驚きと、戦場の悲惨さを覗
いた思いがいたしました。

日露戦争とは、明治37年(1904年)2月の開戦から翌明治
38年(1905年)8月のポーツマス講和会議までの18ヶ月
にわたり、日本とロシアとの間で戦われた戦争を言いますが、そ
の戦いに出征した兵士も1950年頃は、70歳以上の方が沢山
居ました。最初の戦いは小銃と大砲の戦いで、機関銃などが

戦場の最前線で出現して、突撃する兵士をなぎ倒す事が有ると、
戦場の戦いが大きく変わったと話していました。
友人の祖父でしたが、夏の縁台で昔話に聞かせてくれた事は、今
でも鮮明に覚えています。塹壕から飛び出して銃剣をかざして、
ロシア軍の陣地にあともう少しと言う時に、初めて機関銃で掃射
されて、何人もの兵士がなぎ倒されたと言っていました。

友人の祖父が話してくれた緊張は肌で感じたほどでした。しかし、
前もって士官から聞かされていた事で、瞬時に戦場から人影が消
えたと言っていました。全部の兵士が戦場の原野に伏せてどこに
人影が有るのかも分からない様で、頭の上に銃弾が飛び交い、ま
ったく動く事も侭成らないほどで、銃弾が途切れると、微かに負
傷者のうめき声がして、戦場の風に流れて聞こえていたと言って
いました。

近代戦の悲惨な始まりと思います、友軍の援護の砲撃が有り、負
傷者を引きずりながら逃げ帰ったと言っていましたが、とても映
画などが勇ましく見せる場面など、戦場ではどこにも無いと言っ
ていました。
現在ではイラク紛争の戦いで、完全防弾チョッキを着ての戦いで
も、多くの若者が一瞬に路肩で炸裂する爆弾で尊い命を無くして
います。

私が個人的に感じる事ですが・・・・、

戦争を無くす事。
人類のいがみ合いを無くす事。
宗教や信条の融和を図る事。
これなくして世界の平和は訪れないと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム