2012年6月19日火曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで :最終回、 

私はしばらくは仕事に追われていた。だいぶ溜まった仕事をか
たずける為で、町に出かけて買物もしていた。ルーカスとルイ
スも一度訪ねて来たが、彼等も私と同じで、忙しい様だった。
そんな有る日、ベアトリスが馬で訪ねて来た。姉の結婚式の
招待状を持って来てくれた。

それから「病院から退院して来たから遊びに来て下さい」と
伝言も伝えてくれ、元気になって軽い仕事を始めたと話してい
た。結婚前夜に男達だけでのパーテイを私が主催で開いた。
ルイスもルーカスも呼んだ、ジョアン大尉も軍曹を連れて来た。
思考を凝らして、近所の若い男達が集まり、たっぷりと酒も
用意されて、大きなテーブルに山と酒の肴が積み上げられ。

昼間から焼き上げられたアサードの焼肉が櫛刺しにして並んで
いた。 楽団が賑やかな音楽を鳴らして人を呼んだ、今日は女性
禁止のパーテイで、無礼講での騒ぎで飲んで居た。
だいぶ酔いが廻った頃に約束のジプシーの踊り子が3名やって
来た。若いエキゾチックな綺麗な踊り子は会場を一度に盛りた
てた。

音楽が高らかに響き、ベリーダンスが始まった。ヘソを見せた
妖艶な姿は近所の男達も一度も見た事が無かった様だ。
私の企てが見事に当った。

激しく腰をくねらせて踊る姿はこんな田舎では滅多に見られな
いシーンで、先ず私が近くに踊って来た ジプシーの踊り子の
ヘソの下にかなりの金額を押し込んで挟んだ。

『ドーッ~』と歓声が上がり、我先に金を持って並んでいた。
踊り子も嬉しそうに腰の廻りのお札をひらひらさせて踊ってい
た。皆は喜び、興奮して、盛り上がった会場に友も感謝してく
れた。

夜遅くなって、ジプシー達が車で帰る頃、出来上がった男達が
酔いつぶれていた。私も納屋に空き箱を並べて寝ていた。
朝になって目が覚めると、すでに焚き火の廻りでコーヒーが
湧いていた。ジョアン大尉もこんな面白い独身最後のパーテイ
は初めてだと話していた。
コーヒーのカップを手に、色々な話しをしてくれた。

女のゲリラは協力的な態度と戦闘も関係なく、騙される様に
連れて来られた事で、直ぐに釈放されたそうで、ボリビアの
田舎町に帰って行った様である、ボリビアからの 越境進入者
達は特殊部隊員で、ゲリラに仲間を殺されて復讐でアルゼンチ
ン側まで追いかけて来た事が分かった。
これも内々に処理されたそうで有った。
全てが解決して今では静かな国境地帯に戻ったと話していた。

朝の水揚げのエンジンが始動はじめた。一日が動き出した。
先ずジョアン大尉と軍曹が服装を正すと、馬で帰って行った。
皆も熱いコーヒーを飲むと車やトラックターでそれぞれ帰宅
して行った。静かな朝の時間が来た。
今日は彼の農場は休みなので静かなもので有った。

私も馬を用意すると帰り支度をして、彼と握手した。彼の手
が感謝で震えていた。
ルーカスとルイスも私の後に握手すると、朝日の輝く道を歩き
出した。ラバと馬がいななき、何事も無いような足取りで歩い
ていた。 
私は馬で歩きながら日本に居た学生時代を思い出していた。
60年安保に揺れ動いていた時代で、アジ演説で運動家が学内
の騒然とした中で演説と繰り返していたが、まるで革命前夜の
ごとき自己の弁論に酔っていた運動家達で有ったが、その様子
を思い出していた。

勤労学生としてデモ隊の国会突入の時は、工場の残業で遅くな
り、夜遅くの帰り道に、樺美智子と言う女性が死亡したことを
知った事が有る。
郷里の大牟田市に帰省しても、三井炭鉱の争議で街中がデモ隊
と機動隊の渦がうごめいた居た。その様な社会主義の波の唸り
がこんな南米の奥地まで来ていることを実感した日々であった。

今の生活は土と言う生活の場で、己の命を燃焼させている充実
感が有る、主義も主張も理念の論理も自然相手ではタダの念仏
と思い知って身体に刻んで、叩き込まれた、そしてそれを否応
でも体の全てで認識したと感じていた。
空はあくまで青く、高く、澄み渡り輝く太陽の下で生きる喜び
を感じて歩いて行った。

終り。

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