2012年6月16日土曜日

私の還暦過去帳(256)

かれこれ50年も前になります、郷里の田舎から出て来
て農大に入学して 用賀農場での実習生活も慣れてきた頃
でした。教官がリヤカーを持ち出して来て、「これから
販売実習をする・・」と教えられました。
噂の作物販売実習でした。若い学生ですからリヤカーを
引いた事もない連中が殆どでしたが、そこは・・それー!

学生ですから、特に農大の昔のバンカラ学生でしたので
慣れた感じで、行動開始でした。
まず、教官が「助手の方から良く説明を聞いてから出発
する様に」と教えられ、どんな事かと注意していました。

当時は野菜の栽培など多種に渡っていましたので、種類も
沢山有りまして、私が覚えているだけで、『大根、白菜、
ニンジン、キャベツ、ほうれん草、小松菜、ジャガイモ』
などの取れ立ての野菜でした。

そこで先ず・・、出発の前に助手の方が、『このリヤカー
での野菜の売り上げは、350円は持って帰れ』と指示が
ありまして、半端の野菜も捨てないで積み込みました。
これが通称、我々学生でも分かる『撒き餌ー!』です。

5~6名で一班に組となって出発です・・、

リヤカーを引く者、押す者、声を出して客集めする者、
金を集める係り、団地などで世話役に連絡に走る者とそれ
ぞれの分担で行動します。

経堂駅の周辺には会社の社宅や2~3棟の団地スタイルの
会社の従業員住宅が有りました。そこでまとめて販売でき
るので売る方も便利で、時間的にも節約出来ます。

そんなことで慣れた道をリヤカーを押してゾロゾロと歩いて
いると、おばさん連中が『ちょいとー!学生さん・・美味し
そうなカブじゃあ有りませんか?』とか・・何とかで・・、
ごっそりと売れてしまう事も有りました。

一度、余り天気が良くない日でしたが、銀行社宅の看板
が出ている団地スタイルの場所でした。大声で学生が叫ぶ
と直ぐに買い物カゴと財布を持って若奥様達が出てきました。
当時は今からすると結婚する年齢も若く、まだ20歳ばかり
の若い女性も居ました。

私が住んでいた九州の田舎では当時、25歳過ぎて結婚して
居ないと、要らん勘繰りを受けて『どこか結婚出来ない理由
でもあるのか・・・?』と噂されるぐらいでした。
そんなことで、私達が販売実習に行った日に、その社宅から
まさに結婚したばかりと感じる若奥様が先輩の奥様連中に
連れられて出てきました。

ドキーン!と感じる、若くて綺麗で、言葉は京言葉で、まさ
に上品と、育ちの良さが感じられる女性でした。
学生達は呆然としてその女性が買うのを見ていました。

学生達はゴム長の靴をべたべたと鳴らして歩いていますが、
彼女は和服に白い割烹着を付けて、似合いの下駄を履いて
居ました。私はその最初に見た印象が強烈で今でも目に
浮かびます。清楚でしとやかな感じを今でも思い出すくらい
です。確か・・、カブを2束買ってくれたと思います。

販売実習であちこち歩いた中で、今でも印象に残る女性で
した。他班の学生連中では、『ズーズ・・しい野郎が若奥さん
の手を、お釣を渡すふりをして握って来た。』と聞いた事が
有ります。私などは田舎カッペ!の純情な頃で、とてもそんな
大それた事は出来ませんでした。

しかし、しばらくして経堂駅近くに買い物に出た時に、その方
と道ですれ違って、振り返って見たくらいでした。
その内に彼女が妊婦服を着て、ご主人と仲良く歩く姿も見ま
したが、学制服のゴム長姿で下を向いてすれ違った覚えが有り
ます、彼女がすっかりと艶かしく女の気品を出して居たのが感
じられたからかもしれません。

下宿生活も勤労学生では大変で、住み込み書生として経堂駅
近くの下宿から離れる前に友達の下宿を訪ねた時、その社宅
のベランダに真っ白なオムツが干してあるのを見ました。
今では遠い昔の思い出となって居ます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム