2012年6月11日月曜日

私の還暦過去帳(254)


私が鉄木を見たのは小学生の頃に学校から見学に行った大牟田市の
三池港に有ります、干満の潮止めの関として作られた水門の素材の
鉄木でした。水門を作るのでわざわざ南米から輸入したと案内の係
りが話していました。百年も水中でも腐らず、丈夫で長持ちするか
らだと聞きました。

子供心でもその話を聞いて、南米には鉄木と言う言う様な
「なんてすげー!硬い木があるものか・・、」と思っていました。
私が移住して南米のパラグワイやアルゼンチン北部のジャングル
地帯で、ジャングルの山がピンクに変わるほど鉄木の花が咲いて
居るのを見て驚いた事が有ります。

アルゼンチンの北部ではインジオ達が『ラパチョーとケブラ・ア
チャー』と話していました。『斧が折れる木』と言う意味だと教え
られて、驚いていました。インジオの古老が話してくれたのでしたが、
鉄道の枕木として橋梁の素材として、かなりの量がヨーロッパに送ら
れたと話していました。1910年頃からイギリス資本の鉄道が敷設

され沿線の車やトロッコ、馬車などが容易に入れる地域は簡単に伐採
し尽されて殆どの鉄木が無くなったと話していました。インジオ達が
森林伐採労務者として仕事に駆りだされたと言っていましたが、それ
は『コカの葉』を使い、昔のインカ時代の様に賃金としてコカの葉が
使われた様でした。大英帝国時代にインドで栽培されたアヘンでアジ
アと中国を経済侵略した英国の知恵と感じました。

しかし私が現地のサルタ州で仕事をしていた農場で家を建設する時に
土台も使わず、いきなり地面に2mぐらいの深さに40cmぐらいの
大きさの鉄木を差込み、主要な柱はセメントを打ち、他は土にそのま
ま埋めていました。そこでも百年は腐らないと言っていました。
何しろ頑丈でした。屋根は椰子の幹を真中で割って、竹の様に中をく
り抜いてそれを屋根に載せていました。これも百年も腐らないと聞き

ましたが、一度、使って5年ほど経過した椰子の幹の屋根材料を買っ
た事が有りますが、殆ど痛んでは居ませんでした。それには驚きでし
たが、現地人が保障するぐらいですから、中古でもかなりの値打ちが
ある事が分かりました。壁は日干しレンガを使い、まるで土蔵作りの
家でしたが、真夏の酷暑の時期でも家の中はひんやりとしていました。

土間のたたきに水を撒いて、窓を閉めて家の外は40度以上でも中が
ひんやりとして昼寝が出来たのでしたから、これも生活の知恵と感じ
ます。鉄木を切り出すのにインジオ達が鉄木の根の部分に焚き火をし
て、夕方そのままにして帰り、翌日には燃えて鉄木が倒れていました。
インジオ達が周りのジャングルに火が燃え移らない様にして、焚き火
を鉄木に細工して倒す技術には驚いていつも見ていました。そして

鉄木の木片を削り、弓矢で使う矢じりとしていたのにも驚きました。
一度見た事が有りますが野豚の胴を『ぶすりー!』と矢が突き抜けて
いたのには、これも驚いた一つでした。

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