2012年4月26日木曜日

私の還暦過去帳(234)


餅つきのことを思い出すと、頭に浮かぶ出来事が有ります。
そろそろ46年も前になります・・・、

パラグワイから出て来てアルゼンチンでの初めての正月を
迎える時期でした。誰となく『正月ぐらいは餅が無くては困る』
と言い出していました。餅と言っても、もち米とそれを蒸して、
搗く臼と杵が必要でした。

もち米は誰かがアルゼンチンに出て来る時に、もち米は直ぐには
買えないからと持って来ていた物でした。パラグワイの移住地の
自分の家で栽培生産して、精米して売れるかもししれないと
かなりの量を持ち込んでいましたので、その方にお金を払い、分
けて貰いました。
現金が無いのでかなりのお年玉となり、正月を過ごす金が出来た
と話していました。しかし我々も貴重なもち米を買うことが出来
まして早速に杵と臼を探す事になりました。それもパラグワイで
自家製の手作りで、高知出身の方がジャングルの開墾した時に、

切り出した材木から良質な大木を残していて、それで日本から持っ
て来ていたノミ、槌、カンナなど一式で、削り出して近所で欲しい
人に注文製作をしていました。そこにパラグワイに帰る人に頼んで
製作してもらい、アルゼンチンのポサダまで出して、そこからトラ
ック便でブエノスまで送ってもらう事になりました。

仲間で金を出し合いまして、現金を持たせてパラグワイから臼と杵
を取り寄せました。ブエノスのトラック便の営業所に届きまして、
それを受け取りに行き、皆で餅つきとなりました。それぞれ小豆で
の餡を作る人、大豆を炒って黄な粉を作る人、それぞれ分担して餅
つきの日となりました。

日曜日の朝早くから、薪を集め、もち米を洗い、かまどを作り、賑
やかに大人も子供達も来て大騒ぎでした。酒も出され、アサードの
焼肉を焚き火の側で焼いて、まるで近所の日本人達のお祭りとなり
ました。もち米が蒸かされ、お米が蒸される香りが子供の頃を思い
出して懐かしく感じました。

しかし、真夏の太陽は暑く、ビールを灯油で冷やす冷蔵庫でしたの
で余り冷たくはありませんでした。当時のブエノス郊外では、まだ
電気が来ていない所が沢山有りました。食事時間とそのあと僅かな
時間、自家発電の明かりでTVを見たり、台所仕事をしていた頃で
した。
楽しみは近所の日本人が集まり、楽しい語らいと酒を入れての宴会
でした。餅つきはその絶好の集まりとなっていました。お互いが作
った正月料理を持ち寄り、、自分の畑で作った『ごぼう』や日本種
のキューり、コン二ヤクなど、懐かしい食べ物がテーブルに並び、
配られ、交換されました。餡子餅や黄な粉餅など、子供が喜ぶ餅も
沢山作られて、時間を忘れて騒いでいました。

今から思うと一番楽しい時期だったと思います、貧しかったが、心
豊かな希望とこれからの将来を目指して頑張っていた時代です、
しかしながら、出稼ぎブームが起きると、それも全てが崩壊して、
子供達は育ってしまい、日本に行ったまま帰ってはこず、当時の親
も現在では数えるほどしか生きては居ません、時代が変わり、変化
して、過去に流れる時の速さが身に染みて感じます。

日本語学校で歓声を上げて騒いでいた子供達・・、
その時代も現在では、アルゼンチンの移住地や日本人が住み着いた
地域では出稼ぎ現象で無くなり、餅つきなど忘れられて行くと感じ
ます。

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