2012年4月19日木曜日

私の還暦過去帳(228)

私が46年前にアルゼンチン北部で蔬菜農場の支配人をしていた時代
でした。主な作物はトマトとピーマンでしたが、その畑の畝の間の土
寄せや、草取りにラバの労力が必要でした。

ラバは馬とロバを交配して作ったので、小型ですが、かなりの忍耐を
持ち、農耕用としては、貴重な働き者でした。
当時の農場では2頭のラバを飼っていました。朝早くスキを付けた農
具を引っ張って仕事に出ます。朝は必ず自分からスキを付ける装備を
前に立って待ちます。農場ではインジオの農場労務者が専門でラバの
世話と、畑仕事をこなしていました。
賢いラバで、昼時になると仕事を止めてランチの飼料を貰わないと
動きません、それと5時ごろには仕事を止めて、畑から自分でスキ

を付けたままで、さっさと囲いに帰って来ます。暑い日などはスキを
ラバから外すと、近所の川岸に下りて水浴びしていました。
ラバも永い間、農場で同じ仕事をしていたので、かなりの熟練した仕事
をしていました。

トマトとトマトの間隔が1mぐらい有りましたので、そこをラバが草取
りスキを付けた農具を引いて歩きますが、忍耐と根気の要る仕事でした。
忙しい時は、家畜の飼料用のトウモロコシを大きな袋で買い、ラバ達に
食べさしていました。      一日、炎天下の過酷な仕事をします

ので、彼等に対してのご馳走になったと感じます。農場の見回りに出
て、畑の点検と水掛の水路を清掃管理して農道を歩いていた時に、ラバ
が背中を汗で光らして歩いて来ていました。その後ろをインジオが、
急ぎ足で付いて来ていましたので、声を掛けますと、時間だそうで 、

ラバの尻をいくら叩いても動かなくて、あきらめて帰ると言う事でした。
笑ってしまい、それも時間が正確なので驚いていました。
私がトウモロコシなどを与えるものですから、ラバは私を覚えていて、
農作業が終わると放し飼いをしますので、勝手に自分で餌を探して

生きていますが、時々私が仕事をしていると、どこからか現れて餌を
ねだっていました。岩塩やトウモロコシなどを農場の隅で与えますので
かなり遠く、15kmぐらい離れた所で、道端でひよっこりと会って驚
いていましたが、翌日はちゃんと農場の近くの岸辺に居ました。

片方の耳の先が切れていますので直ぐに分りまして、放し飼いの時は
近所のラバと群れて生活しているようでしたが、その中からも見分ける事
が出来ました。私がエンバルカションの町を離れる時に、駅裏の草原に
群れていましたが、私が大声で呼ぶと、大きな耳をパタパタして私を
見詰めていたのを思い出します。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム