2012年4月16日月曜日

私の還暦過去帳(225)

父親達の星条旗

昔でしたが、封切したばかりの映画を見に行きました。
『Flags of Our Fathers』の名前でしたが、監督は渋い画面を捉
えて、この映画の『なにを意味するか』を迫っています。
クリント・イーストウッド監督の作品は、今回も見てからの印象
が後から時間が経っても、また心感じる物が有ります。

政治が戦場での激戦の最中に、若者達の命を左右する命令を
出して、また生き残った若者を利用して政治に絡ませる役目を
命令して、強制して、彼等が苦悩して悩み、真実を心に秘めて
心痛める事を描いていますが、また、実写の様な戦闘場面が
凄惨でリアルに描いて有ります。

この映画は2部作でアメリカ側と日本側から撮影され題材も異なる
角度から見て、描いているが、日本側の視点で撮影された映画で
は『硫黄島からの手紙』と題名が付けられている。
クリント・イーストウッド監督の今回の映画での主題が、映画配給

会社のサイトでのコメントは『戦争は正義か悪かと描いているが、
人生も戦争もそういうものではない』と話している。
戦争に翻弄される、戦争の悲惨さを世に問いかけている作品となっ
て居るが、アメリカ軍が日本領土を最初に攻撃した場所での戦いの

激戦の様子をリアルに記録映画的な白黒映画の基調が有り、画面
の逼迫性を感じるものである。

私が記憶している、ビルさんという方はアメリカ海兵隊員として、
硫黄島の戦闘に参加された方でしたが、彼から硫黄島の激戦の話を
直接聞きましたが、映画を見てからその実際の戦闘と映画の画面の
狭間が消えて居た事でした。彼の戦闘の話は、まるで映画と一致して、

彼は硫黄島でも一番の激戦であった、すり鉢山のふもとの海岸に第一
波の強襲部隊として参加したそうです。上陸舟艇で海岸の砂浜に接岸
すると、直ぐに激しい射撃がすり鉢山から有ったそうです。砂浜に伏
せたとたん、「ガツーン」と激しい衝撃を鉄兜に受けて、そのまま失
神してしまったそうですが幸いに弾は貫通せずに「べこりー!」とひ
 
しゃげて砂浜にのびてしまったそうです。幸いに直ぐ側に看護兵が居
たので、そのまま引きずられて、乗ってきた上陸舟艇で沖合いの病院
船に連れて行かれましたが、幸いにコブが出来ただけで、命には別状
無いとの事ですぐに、第一波が苦戦との事で、第二波の攻撃部隊に参
加して、自分の部隊に戻ったそうです。その時は橋頭堡を築き、部隊
 
は100mぐらい内陸部に入った、砂丘の下に隠れていたそうです。
彼はブロウニング自動ライフルの射手として、味方の歩兵の援護射撃
をしていた様ですが、弾倉を撃ち終わって砂丘の淵から弾倉を入れ替
えて立ち上がったとたん、腹部を撃ち抜かれて砂丘の下に転げ落ちて
のびていたそうです。そこでも彼に幸運の女神が微笑んで、なんとー!
 
そこには看護兵が激しい銃弾を避けて、負傷者を看護していたそうで、
直ぐに上陸舟艇に担ぎ込まれて、手当てを受けながら病院船に運ばれ
て腹部の切開手術を受けて腹部重傷ながら命を取りとめて、本国に送
還されたそうです。

彼が話してくれましたが、上陸したアメリカ海兵師団第4、第5師
団は戦闘消耗率が75%に達したと言っていました。
サイパンではわずか20%の消耗率で有ったことを考えるといかに激
しい戦いであったか分ります。彼は勇敢に戦って玉砕した日本兵に敬
意を払い、祈っていました。
 
戦闘開始時に日本軍、2万1千の守備隊で、7万5千の上陸部隊
を迎え撃ち、2万5851名の死傷者を与えて戦闘は終りました。

お互いの激戦での多くの死傷者には、それぞれの物語を秘めていると
感じます。傷ついて後に心に残っている真実の物語をこの映画が晒け
出していると感じます。


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