2012年4月5日木曜日

私の還暦過去帳(216)

6年ほど前でした。
しばらくぶりに日本を訪ねていました。郷里訪問と仲間のOFF会
の出席の為でした。5日に帰宅して週末を自宅で過ごしています。
今日で私の仕事も正常に戻りました。
引退まじかで、だいぶ仕事を減らしていますので、かなり仕事の
時間的余裕がありますので楽です。

日本滞在中に一番関心して見たのは、田町駅近くのホテルの9階の
窓から朝6時過ぎに目が覚めて、下の歩道を見ていたら、永い行列
が歩いていました。
デモ行進と勘ぐりましたが、いちおう全員がバックサックか、肩か
ら作業カバンを斜めにかっいで持っています。
格好は皆さん作業着で、運動靴が多かった様でした。

私は朝のシャワーを急いで浴びると、ロビーにある、朝食のバフェー
を食べる為に降りて行きました。しかし少し時間的に余裕が有りまし
たので、外に出て歩道を見ていました。
外を掃除していたホテルの係員が教えてくれたのですが、近所の
マンション工事現場に行く作業員の行列と教えてくれました。

42階とか、もっと他に建設現場が有ると言っていましたが、巨大
な高層建築の建設現場に働く労働者がこれだけ居るとは信じられませ
んでした。パーキングが少ないので皆さんが電車で通勤してくる様で
した。電車が吐き出す作業員全員が並んで、ゾロゾロと歩くのですか
ら、それは壮観です。

ホテルの係員が教えてくれたのですが、沢山の南米からの出稼ぎ労働者
が働いて居ると言っていました。確かに私の見ている前でスペイン語で
会話しながら歩いている若い日系人のグループも見ました。
底辺の労働者として、日本の建築産業の土台を支えていると感じました。

羽田から飛んで、北九州市の6月に開港した飛行場から急行バスで小倉
市内のモノレール乗り場近くで下車して、駅まで歩いていたら、
道を尋ねた警備員が若い女性で、カタコトの日本語でダンプトラック
の誘導をしていました。
カタコトの日本語でモノレールの乗り場を教えてくれたので、ポルト
ガル語と感じましたので、『ムイト・オブリガード!』と言うと、満面
の笑顔で答えてくれました。目が澄んだ青色でしたから日系の混血と感
じましたが、こんな田舎の現場で仕事をしている出稼ぎ労働者が居ると
思うと、日本の社会が、変化と改革の中に居ると肌で感じました。

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