2012年4月2日月曜日

私の還暦過去帳(213)

アメリカに戦後渡って来た女性を,当時の世間では『戦争花嫁』と呼んだ。
アメリカ政府の戦時強制収容所から出て、一般社会に日系人が復帰して
活動を開始した時期とも合っている。
アメリカの日系社会では強制収用所から出征した日系兵士や、ハワイは
強制収用は無かったが、限られた島からの制限された中からの出征でし
た。

彼等の日系兵士は駐留米軍に同行して戦後処理の重要な役割を占めてい
た。アメリカの限られた地域社会の排他的な日系社会から出てきた日系
兵士と、その環境で教育を受けて日本語で育った多くの日系人の兵士で
した。彼等が日本駐留中に結婚した日本人女性は約1300名に上ると
言われ、その他、非日系人と結婚した女性も当時はかなりの数になりま
した。
1952年の講和条約発効で日本占領終了後も、かなりの数の日系人と
結婚する日本人女性がいましたがその様な流れを経て、アメリカに移住し
てきた日本人女性は否応無くアメリカの日系社会の中で生活を始めたので
した。
カリフォルニアなどは、地域として日系人が集中する場所に近い所に住む
事になり、あらゆる生活の中で日系人社会から、はみ出して住んでいた
日本人女性には白人社会の壁が存在して、言葉換えると、人種差別 と言う
環境的な地域的格差と、アメリカ日系人の排他的な社会との板ばさみを感
じていたと思います。
まったく白人社会に埋没して、日本語さえ忘れて、50年と言う半世紀の
流れを白人のご主人と生活して現在に至るまで、淡々と過ごして来て、ご
主人が亡くなると、その50年と言う過去の時間を全て捨てて、日本に帰
国する方、日本に帰るべき郷里の親兄弟の永き時間の隔たりで音信不通と
なり、帰るべき家もなく、老人ホームでの人生終末の時間を過ごしている

方など、また子供が無かった人、子供に囲まれて生活して、孫などと賑や
かに生活している方、日系2世と結婚した日本人女性、その他白人や黒人
またヒスパニック系と結婚した日本人女性、アメリカでも南部や東部での
生活者、カリフォルニアやネバダ州など西部での生活者、ハワイなどまた、
南太平洋の島でグァム、サイパンなどので生活者とは地域的な差が多く有
ります。
終戦後の日本占領時期に結婚してアメリカに来た人、また朝鮮戦争時代に
結婚した人、ベトナム戦争時に日本に駐留する米軍兵士と結婚した人、
様々な過程と、人それぞれの運命と絡み、アメリカの広大な場所に散って、
現在は歳で身体衰えてアメリカの土となる人、子供無く、老人ホームで静か
に余生を過ごす人、ご主人と引退者ホームに住み、仲良く旅行して歩いて

いる方、それぞれの人生が私の周りで見られます、人生一度の生き様は人
それぞれですが、最近、私が見た方ですが、戦後日本からカリフォルニア
に来て、ご 主人も見送り、癌に倒れて、淡々と元気な時に友人を自宅に

呼び、別れをし て、感謝のメッセージを子供達や、親戚友人達に読み上げ
てお別れのグラス を交わして、しばらくして亡くなり、子供達に囲まれ青
い芝生に掘られた墓穴 に埋められた最後を見ると、『人生とは・・・!』
と心感じるものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム