2012年3月25日日曜日

私の還暦過去帳(206)

だいぶ前のお話です。
私が南米から日本に帰国して、海外青年協力隊でアフリカのモロッコに、
お茶の栽培で派遣される契約をした時に、今のワイフと出会い、全てを
捨てて結婚しました。

理由は簡単でした。『おそらく二度とこんな女性と、めぐり合う事は、
このチャンスを逃がしたら無いだろう・・』という気持ちからでした。
文無しでのスタートでしたので、よく仕事を探して働きました。
あるとき知人の紹介で、『夜の7時から12時までの時間、ホテルの
接待係りを3週間ぐらいしてくれないか?』と言う事でした。

ホテルは渋谷の繁華街のすぐ裏で、かなり場所の良い所に有る綺麗な洋館の
ホテルで3階建てで、小さいながらこじんまりとしたホテルでした。
駐車場も有り、近所では高級ホテルという感じでした。しかし世間一般で
は『ラブ・ホテル』という高級同伴ホテルの感じで呼ばれていました。

生涯で一度でもそんな所で仕事をしたことのある方は少ないと思います。
そこのホテルで長いこと働いていた方が、急用で仕方なくお休みすると言
うことで、私にその仕事を頼んで来た様でした。 かなりの高給にも釣ら
れて行きましたが、そこでは人間の裏の様々な様子を見た感じでした。

私の仕事はホテルの部屋で、アベックの事が済んで、その掃除と準備をし
て次のお客を入れる事でした。かなり週末はアベックが前を抑えて並んで
いる感じで居ましたので、時間的には限られた忙しい仕事で体力的にきつ
い仕事でした。まずシーツを交換して、風呂場を掃除して、使用済みの
ちり紙などをごみに捨て、綺麗なコップとお茶に交換いたします。

それを短時間でやるのですから忙しい仕事でした。 女性ではかなりの重
労働でした。しかし平日は余り混んでいない時は控えの部屋でお茶など
飲みながら、接待係の女性から色々な面白い話も聞きました。
一度、お客が部屋に入り、すぐにお茶を持って、その部屋に行った僅か
3分も掛からない短い時間でしたが、その短い時間にもう事が始まり、

接待係りの女性が部屋にお茶を持って入ると、ベッドでは盛大なお祭りが
始まっていて、あわてて部屋から逃げて来たと言っていました。
私もちらりと見たのですが、どこかの商店のおやじさん風情とその店の
店員と言う感じの若い女性がいつも来ていました。親子の様な歳でしたが、
いそいそと手をつないで部屋に入る姿は今でも思い出します。

週末に来ていた和服姿の中年過ぎの奥様風情で、若い学生らしき男性と
良く来ていました。部屋に入るといつも電話で、追加の避妊具を注文して
いましたが、それには驚いていました。この世に男と女が居る間は、絶対
にこの商売は繁盛すると言っていたオーナーでしたが、死んだ親から貰っ
た全財産をつぎ込んで建てたホテルだそうでした。

ある時、平日だったと思います、接待係りが急いで控えの部屋に来ると、
先ほどの若いお客はどちらの出口から出たか聞くと、慌てて追いかけて
行きました。しばらくすると戻ってきて、『洗濯代を貰ってきた』と話して
くれました。それは鮮血の処女の痕跡がシーツに残って、その後始末が大変
で一度洗剤で手洗いしてから、ランドリーの洗濯屋に送るのだそうでした。

中には女性が部屋を出る時に、自分でお金を包んで『すみません・・・、』
と言って謝って洗濯代として置いていく女性も居ると話していましたが、
シーツをはがして風呂場で洗ってあったと、接待係りが話していました。

一度私が部屋のかたずけに行ったら、ベッドの中に脱いだ、そのままの形で
下着のパンテーを何度か見ました。帰りは下は何もはかないで帰ったと思
いますが、接待係りの女性がいわく、大抵の女性はハンドバックに予備を入
れて居るから心配ないと話していました。3週間ばかりの短い期間でしたが
人生の経験として色々と感じ、また学ぶことも有りました。
全部書いたら小冊子の本となると思いますが、今日はこれで終わりです。

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