2012年3月20日火曜日

私の還暦過去帳(200)

 青春の我が旅日記

北海道を歩いていて、当時の旅行はまだ汽車が主流でした。
国鉄バスも残っており、列車が無い場所をつないでいました。

確か、早稲田大学の探検部のグループが日本で初めて知床半島を縦走
した年です。横断する道は昔から有った、羅臼とウトロを結んだ斥候
道路というものが昔に建設されていた様です。

それは軍隊兵士の連絡様に作られていた様で、冬の積雪が深い時は通
行は出来なかった様です。現在はそこに自動車道路が建設されている
と聞きましたが、知床横断道路と言われています。

知床半島の突端の鷲岩が知床の一番先と言われていましたが、当時は
まだ灯台を建設中でした。標津から羅臼に出て、そこから番屋廻りの
船に乗りまして、突端まで行きました。

突端近くの鮭の定置網の番屋だったと思います、そこで船が泊まり
手漕ぎの小舟で岸に上がり、そこから歩いて突端まで海岸を行きまし
た。その時にどこかの大学の探検部の方が二名ほど下船されて一緒に
歩いて行きました。突端の灯台工事の飯場が目標でしたが、それ以外

は何もない荒地の海岸台地が寒風に吹かれているだけで、辺境という
侘しさが感じられました。その飯場に泊まらせてもらい、付近を歩き
ましたが、そこの工事現場の人が『海岸台地の草むらに、ヒグマのま
だ新しい糞があったから、それ以上は行くな』と脅かされて、とても

行く気にはなれませんでした。  しかし海岸での釣りは入れ食い
の感じで、直ぐに夕食の魚が取れました。海底が見える澄んだ水です、
多くの魚が泳いでいるのが見えました。まだ荒されていない自然の宝
庫と感じました。ウニも浅瀬では直ぐに沢山取れて食べましたが、私
はどうしても好きには成れませんでした。
そして食べたその夜に大変でした。

私が行った時期は8月でしたので、沢山の草花が咲き乱れていたのに
は驚きました。今でもカラーのスライド写真として記念に保存してい
ます。知床岬は風の音と、波の音とに挟まれた当時は自然の世界でし
た。
その岬灯台工事現場の飯場で、ご馳走になった味噌汁は、今でも思い
出します。ぶつ切りの魚を入れて玉ねぎの青い芽を刻んで入れた味噌
汁でしたが、それに福神漬けがドンブリに山盛りにあるだけで、野菜
はキャベツを刻んであり、刻んだ、まな板のままで側に置いてありま
した。
それを小皿に取り、醤油かマヨネーズをかけて食べていましたが、
質素な飯場飯でした。今度はウトロから迎えに来た番屋廻りの船に乗
せてもらいウトロまで行きましたが、ウトロまでの間で、海に直接落
下する滝しぶきには驚きと、その自然の素晴らしさを見せつけられた
思いがします。
先ほどに知床半島が05年7月にユネスコ世界遺産に登録されたと聞
きまして、なるほどと思ったしだいです。50年近く前はもっと自然
が素晴らしかったと信じています。貴方も一度訪れて見て下さい。
次回に続く、

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