2012年3月9日金曜日

私の還暦過去帳(190)


『旅は道ずれ世は情』と昔の人は良く言ったと思います。
旅人のタイプは一人旅、仲間旅(団体旅行)、連れ合い旅(夫婦旅)の
三つに分かれると思います。

それから旅の貧富もかなり差が有ります。世界一周航路に2000万
近い費用で1等船客で乗船している夫婦もいますし、また働きながら
放浪か、無銭旅行に等しい感じで旅している人もいます。

それぞれの環境と与えられた生活環境が大きく作用して、その立場を
甘んじて受け入れなければならなかったと思います。私も今まで多く
の旅をしている人々を見て、会い、語りその過去の過ぎ去った思い出

として心に残っている事をこれから物語として、ここに書き残そうと
思っています。 私が46年前に南米で会った一世の日本人から戦前の
1920年前後の昔、南米を旅する日本人の旅人の有様を聞いた事が
有りますので、その物語も書きたいと思っています。

俳聖 松尾芭蕉が、みちのくに足跡を残した旅、『奥の細道』の序文を
見てみると、心感じる事が沢山有ります。
『月日は百代の過客にして』と出だしに書いています。

『日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづ
れの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、』と書か
れているのを読んだ時に何か心に響くものが有り、今も思い出します。

奥の細道
元禄2年3月27日ー9月6日(松尾芭蕉、46歳)

(序文)
 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をう
 かべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。
 古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさ
 
 そはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破
 屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関
 こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきに
 
 あひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、
 三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、
 杉風が別墅に移るに、  
         草の戸も住替る代ぞひなの家
     (くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ)

旅に出て、楽しい事、嬉しき事、辛き事、悲しい事、腹ひもじい事、
情けない事、美味しく沢山食べた事など全てが集まり、それが旅の思
い出として残っていくと感じます。

時代は違えども、旅として心残る思い出は同じと感じますが、その
時代の移り早さが現代の旅と言うのかもしれません。

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