2012年2月28日火曜日

私の還暦過去帳(181)


このお話は次男が5年ほど前に、インドに自分を試しに仕事に出か
けた時の様子です。

次男のインドへの旅立ち、

今日、朝早く午前零時30分にインドに旅立ちました。
去年の12月も押し迫った29日に帰宅しましたが、帰宅する少し前
にインドの首都ニユーデリーで、合気道の道場練習中に左腕の筋を切

り手術をして筋を縫い合わせる6時間近い緊急手術を受けて、ギブス
をして、片手で荷物を押して空港の出口から出て来ました。
やつれて、かなり精神的なストレスもあったのか、青白い顔に、頬が
扱けてげっそりしていました。

それと言うのもフルブライト留学終了して、三ヶ月ほどボランテイヤ
で国連のNPO関係の仕事を無給で手伝っていました。医療健康保険
が切れていたので、全部自分の責任で払わなければなりません、医療
費の安いインドでもかなりの高額です、しかしアメリカからしたら

10分の一ぐらいです、しかし奨学資金も終っていましたので、収入
が途絶えて、友人宅に居候してカレーライスだけの食事をしていた様で
す、週10ドル程度の食事では肉などは食べられず、豆のカレーだっ
た様で質素な食事をしていたのか、食べる量も帰宅

した時は少ない量でした。しかし帰宅して自宅の食卓に上る美味しい
日本食を食べだすと、自然にインド式カレーも自分では作らなくなり、
お肉が沢山入った『とろける中辛ビーフカレー』などを食べる様にな
ると、こちらが『ギョッ』とするほど沢山お代りして食べていました。

しばらくして、ステーキとサラダにガーリック・パンなどの食事とな
ると、まるで狼で『ヤンキー食』をガッついて食べていました。美味
しいワインもたらふく飲んで、食後はケーキのクリーム、バターゴッテ
リ超カローリー食をパクリとたいらげ、げそー!

と落ちていた頬もふっくらとしてきて、それと朝は10時頃まで寝て
いて、昔の『小原庄助』さんではないが、朝寝、朝酒(これは無し)、
朝湯が大好きで~!と歌になるような生活でした。しかし有り難い事

に、18歳で家を出て初めて三ヶ月も居てくれましたので、まるで殿
様待遇でした。13年ぶりにしてゆっくりと食事などしながら話も出
来ましたし、しばらく夫婦二人だけの生活でしたので 潤いが出来まし
て、晩酌などを次男と交わす幸せも感じました。

ニユーデリーで合気道の道場に通って居るうちに、そこでインド財閥
の三本指に入る、インドのビル・ゲーツと言われる人物が丁度道場に
練習に来ていて、そこで知合い、声を掛けられたそうです、彼はイギリ

スのオクツフォード大学に在学中に合気道を学び、熱烈な支持者でし
た。そん事で『またインドにおいでー!』と誘われた様でした。彼の
父親は熱心なガンジー翁の支持者で初めて、その当時危険分子とされ
たガンジー翁を支え、支援していた有力者だったそうです。

そんな事で彼の会社が大きなNPOを開いて、インド国民の為に奉仕
活動をしているので、次男はそこで仕事をする様です。あとの余暇は
合気道の普及に力を入れると話していました。
『あと二ヵ年ぐらい自分が何が出来るか試してみたい』と


話して出掛けましたが、少し雨が降る中で、長男も会社を少し早仕舞
いして見送る事になり、長男の家で待ち合わせして、彼の車で飛行場
まで送る事になり、途中で早めの夕食に、サンフランシスコでも三本
指に入る、ベトナム・ラーメンを食べに行く事にしました。

フォーの麺が出て来るまで、話していたら、長男が現在、オーストラ
リアとニユージーランドの二国に一カ月おきにビジネス出張していて、
それで何かを感じたのか、『もしチャンスがあればオーストラリアの
シドニーに移住したい』と話し始めました。

気候もサンフランシスコと同じ感じで、これからの長い将来を賭ける
には面白いと話して、カリフォルニアは物価が高く、住宅も全米一の
高値では、とても大きな家一軒も買えないし、生活をエンジョイ出来

る環境が少なく、特に仕事の需要が多いコンピユーターソフト関係で
は国境が無いと言っていました。パソコンさえあればどこでも仕事が
出来るからと話して、かなり真剣に心に思っている感じを受けました。

次男のインド行きと長男のオーストラリア移住の話しで、それぞれの
夢と、希望と人生の活き様を考えていると思いました。ただひとつし
かない人生、己の夢と希望を海外にぶつけた自分を思い出して、良く
育ってくれたと感じました。

フォー麺がテーブルに並び、親子で食べる味も格別で、見送りの僅か
な時間が格別な親子の対話と心通う場になって、ワイフと幸せな気持
ちでした。食後のコーヒーを飲んで、時間どうりにチックインして、
荷物を入れると、お互いにハグして肩を抱いて記念写真を写して、
次男がチエック・ポイントから消えて見えなくなるまで手を振って別
れを惜しみました。

おそらくあと僅かな時間で子供達が大きく羽ばたいて、二度とは私達
夫婦のもとには戻って来る事はないと思いました。
『子供らよー!飛んで行け、大きな希望と自由な大地にー!』

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