2012年2月18日土曜日

私の還暦過去帳(171)

越南米粉麺を食べ歩きまして感じた事は、彼等の移民して来た
数がとても多いと言うことでした。東部のボストンで昔、娘夫妻が
ハーバート大学の招待客員研究員として滞在していた時でした。

イタリア人街に近い港の広場に沢山のベトナム人が集合してサイゴン
陥落の記念に何か集会を開いていました。旧ベトナム国旗をなびかせ
て、マイクで祖国の共産政権の圧制を非難していましたが、アオザイ
のきらびやかな女性の姿が印象的でした。

こんなボストンの町に住み付いて、祖国を案じる彼等の心を思いまた、
西部のカリフォルニアにもそれ以上の数のベトナム移民達が住み付き、
生活して、活動して、伸びて行き、繁栄の象徴と言うショッピング・

センターも造り、今ではどこでも手軽に食べられる様な越南米粉麺の
レストランをフランチャイズで見かけるようにもなり、もはや日本の
ラーメン店などは影をひそめてしまいました。

先日も前に食べた事がある、日本のラーメン店に行ったらすでに閉店
していました。時代の流れです、東洋人達が好む食の変化が、もはや
アメリカを巻き込んで、今では寿司と、この越南米粉麺の流れが定着

したと感じます。中華レストランも近所で2ヶ所も閉店しました。
それは中華レストランのバフェー・タイプにお客を取られたからでし
た。安くて早く、豪華な店で一度に沢山の家族でもテーブルが囲める

店が、メキシコ系の大家族でも彼等が好む料理を合わせて作り、彼等
に歓迎される料理を出して、集客したと感じます。
今ではヒスパニック系をカリフォルニアでは無視出来ません。
我々がベトナム麺と言うレストランは、中年過ぎのアメリカ人が沢山

食べに来ている事は、やはりベトナム戦争経験者がアメリカには沢山
居るからと感じました。先日も少し頭が禿げかかった初老の男性が
一人で麺の鉢の前で、器用に箸を使い、生春巻きを口に入れ、麺の
スープを美味そうに口にしている男性を見ていると、かなり慣れた
感じで越南米粉麺を味わっていると感じました。

アメリカに定着して、アメリカ人にも喜んで賞味される感じの麺なら
ば、日本人でも病み付きとなるのはあたり前と感じました。
ご飯類も昔、学生食堂で食べた感じの盛りつけで、大皿に盛りつけた
ご飯とチキンが懐かしい感じでした。何も抵抗感がない、食べている

多くの人種も東洋人が9割は居ますので、どこかの日本の都会の食堂
の感じでテーブルに座る事が出来る事は、こんなアメリカのカリフォ
ルニアに住んで安らぎが出来る場所でもあります。

そして麺を箸でつまみ上げて、ツルリと口に走る感覚がこれまた、た
まらない心地であります。ありがたやーー!

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