私の還暦過去帳(165)
『越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録』を少し書いて
みますが・・・・・!
先ず題の解説から・・・、解り易く現代日本語で書きますと!
越南米粉麺=ベトナム・ラーメン(ホー)
加州桑港湾東沿岸地帯=カリフォルニア州サンフランシスコ湾東沿岸
地帯。
美食探求味見録=美味しい物の食べ歩き録。
先ずこのような感じでありますが、若い人は漢字では苦手と思います。
サンフランシスコ沿岸では現在ではSanJoseなどはベトナム人が全米
でも一番の数と言われる様になりました。
ベトナム町と言うショッピングセンターも出来ましたので、ますます
繁栄してまた、ベトナム人が集中して来ていると感じます。
1976年頃は、かなりのベトナム戦争で難民となったベトナム人が
アメリカに移住して来ていました。
組織的、かつ集団的にアメリカ政府の援助のもとに入国していました
ので、アメリカ各州でベトナム移民との摩擦が、かなり出て来た時期
でした。
その様にベトナム人が持ち込む習慣、彼らの日常食生活、食文化など、
かなりアメリカからベトナム戦争に従軍したアメリカ人が沢山居まし
たし、そこで食べたベトナム料理と、食習慣がアメリカ本土に上陸し
ても、違和感がなく、ベトナム料理という味が急激に浸透して迎えら
れたと感じます。
ベトナムは以前、フランスの植民地でしたので、かなりフランス的な
ベトナム料理が有ります。驚くなかれ、ベトナム風フランス料理も有
るそうです。
私が思うに、きっと美味しい味の料理にまとめてあると感じます。
私が一番初めにベトナム人達に直接会ったのは、南米から日本に帰国
する時に、シンガポールから乗り込んできた人達の中に、沢山乗船し
ていたからです、私達が通称、華僑という広東系のベトナム人でした。
彼等は香港まで乗船していましたが、驚いた事に鍋・カマ、コンロな
ども持ちこみ甲板で炊飯して居た事です。三等船客もまだ下の、四等
船客達です。オランダ船はケチと聞いていましたが、まさに肌で感じ
ましたが、見れば甲板でアンペラひいてごろ寝している御仁も居ます。
我々日本人からしたら、各段の生活力がタフと言う感じです。おば
サン達がお昼となると甲板で商売しています、何かと見ると、お茶碗
に麺を入れて、スープを掛けて、まるで日本の『かけうどん』的な物
体を食べさしているでは有りませんかー!
―これはなんであるか?
―これは「ホー」という麺であるー!
―いくらか?
―25セントだよー!
―ほんとかね~!
―うまいよー!
―ほんまかいな~!
―食べるかネ~!
―食べたいが・・・・?
―ためしてみてよー!
―じゃ~!一杯ちょうだいナ~!
・・・・・・とか何とか言って食べたのが初めてでした。
バケツの水で洗うお茶碗ではあまり衛生的では有りませんでしたが、
『何でも食ってみようー!』の特攻精神は、いっも持っていました。
それにしても、オランダ船には驚きでした。
寛容精神があるかと思えば、そうではなく『袖の下での黙認』と聞い
てもっとびっくり・・・!でした。
食後のデザートには、甘いお汁粉もどきの『あずき豆とピーナツ』が
入った甘煮ごった煮?と言う感じの物でしたが、日本人の口にも合う
感じで満足していました。
時代は代わり、あれから幾年月か・・・、アメリカに来て、またあの麺
に再会しました。
今度はれっきとした中華街のレストランでした。
次回に続く。
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