2012年2月8日水曜日

私の還暦過去帳(162)

私が上京して勤労学生としてスタートしてから稼いだお金で買った
最初の物は電気ガマでした。当時の3合炊きという小型の電気ガマ
でしたが、どんなに便利だったか助かりました。それと言うのも自炊
を始めたばかりで焦げ、半煮え、ごっちんおこわなどと失敗が多くて
こまっていました。

電気ガマを買ってからはピッタリとそれが無くなり、随分と便利でい
つも一度に3合を炊いて一日それを食べていました。少しばかり外食
もしていましたが、毎食がかなりの経費となり、量も少なく18歳の
食べ盛りでは、寂しい思いでしたから、自炊では腹一杯食べることが
出来ますので自分で買物して、自炊する事は歓迎でした。

直ぐに特売日などを覚えて、どこで安く買えるかなども覚えてしまい
ましてスーパーの惣菜屋で閉店間際に、夕食の惣菜物や特にメンチや
コロッケ、天婦羅のかき揚などの残り物を学生だからと、また値引き
して、おまけを付けてくれて、おかげで貧乏学生には助かりました。
ソースもドバーと掛けてくれ、包みを開けたら直ぐに食べる事が出来
ました。

学校の授業が終ってから、近所に有った鉄鋼所で夜勤の仕事を見つけ
て、当時は景気が良くて残業が多すぎて工員達が悲鳴を上げてい
た頃でしたので、夜の9時頃まで仕事が有り、夜食と風呂を貰って帰
宅していました。そこの職人さんが溶接、旋盤、ボーリングの穴あけ、

工具の使い方などを『おい~!学生!もたもたするなーー!』と怒鳴
りながら親切に教えてくれ、特にヤスリ掛けの仕事などは万力に挟
んだ物を丁寧に削る事を教えてくれました。おかげでこの年になって
も覚えていますし、かなりの仕事も出来ます。夜もふけて十時頃に風
呂も貰い、握り飯を口にしながら歩いて下宿まで帰ることは、やはり
寂しい思いでした。

田舎の自宅では母親がいつもお腹が満腹まで食べさしてくれ、食べる
と言う事は一度も心配などした事は有りませんでしたから、お袋の有
り難さを感じていました。おかげで南米に移住してからも、自炊が出
来ましたので、だいぶ役にたちましたから、今では懐かしく思い出し
ます。

書生の仕事さがして住み込みで働く様になるまでは、土曜、日曜も休
まずに働いていました。色々なアルバイトをしてして、一番良かった
のはやはり植木屋さんで、ここも色々な仕事を親方が手取り足取りで
教えてくれ、ここでは職人さんが・・・
『おい~!学生!もたもたするなーー!』と怒鳴っても、
帰りはコップ酒を『飲め~!』と言って勧めてくれ
『夕食を食べて帰れーー!』と、言ってくれました。

色々な植木屋の仕事を覚えまして、今でもどんなにか役にたって庭仕
事も出来ますし、私の今の仕事でも役に立っています。

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