2012年1月29日日曜日

私の還暦過去帳(152)

私も運転を始めてからかなりの年月になります、あるとあらゆる
車を運転しました。しかし運転で根気と体力と集中力の一番多く
要るのはトラックの長距離運転です、アルゼンチンで農業をして

いた時代に良く、ブエノス・アイレスまで野菜の荷物満載で走り
ました。約12トンは積載していますので、当時の北のボリビアま
で行く道路はかなり酷い舗装と一部は、ジャリ道のデコボコ道で

40キロぐらいしか最大スピードを出せない所も有りました。
野菜の生鮮食料品を運びますので、なにぶんスピードを要求され
大型トラックでも当時のトレラー型の連結して走るトラックは

積載量はかなり有りますが、途中のスピードはかなり遅くなり
ますので、敬遠されていました。荷台一つのトラックはかなり
スピードを出して走りますので、時間の競争では三日間近く走る

長距離走行では最終的には5時間から、半日ぐらいの時間的差が
出てしまいます。鮮度は落ち、ブエノスの競りの時間に間に合わ
ないと次ぎの日の市場の競りに廻されて、値段もグッと下がり
ますので、運行時間短縮は重要でした。

特にナスなどは時間が遅れると、しぼんで張りの有るナスの光沢
が無くなり、まったく売れない時が有りました。
それで途中で収穫を中止して畑で捨ててしまった時も有りました。

オレンジやバナナなどは日保ちがしてそれに合わせて収穫します
ので安心でしたが、トマトはいつも時間との戦いで、収穫する
時はトマトの真中が少し赤くなった時に収穫します、それから

三日して、ブエノスの市場で競りに掛けられる時に全体的に赤く
熟れているのが最高の値段が出るので、同じ一年間の労働として
働く報酬がタイミングが合わないと、一瞬で半分の値段しかなら
無い時がありました。

私が農業をしていた農場はブエノスから丁度、1658Kmの
標識が町の入り口に有りましたので、そこから12Kmぐらい
ジャングルに入った所の河岸で生産していました。かなり

の距離を走る事になります、荷物満載で走り始めるタイミング
はかなり重要ですから、時には満載にならなくても走り始める
時が有りました。特にブエノスなどでトマトなどが品薄で値段

が高騰した時は少なくても値段がカバーして採算が合いますので
飛ばして行きました。二人で交替で運転して行きます、夜は昔の
トラックですからラジオだけで、それも短波ラジオがない長波の

ローカルしか聞えないラジオでしたので夜になると雑音だけで
ジー!と言う音しか聞こえなくて切っていました。途中のジャン
グル地帯を抜ける時までは、道に夜タカの鳥が道路で轢かれた

動物などの死骸を目当てに居るのには最初は恐ろしくて、道路の
黒いアスファルトの中がランランと輝いているのでドキリとして
ブレーキを踏んだ事が何度かありました。日本では夜タカと言う

のは昔から道端で、通行人を目当てに春を引く女性の意味でした
がアルゼンチンの奥地のジャングル地帯では本当の鳥でした。
夜も飛べる鳥はフクロウと夜タカだけではないかと思います。

最初はヘッドライトに飛ぶ影を見て、コウモリかと思っていたら
なんと夜タカでした。真夜中の擦れ違うトラックや車も無い道で
道路の真中で光輝く点が有ればそれは夜タカに間違い無い光で

したが、慣れるまでは気持ちが悪くて、不気味な感じがしていま
した。相棒の運転手は後ろのベッドに寝ていて、一人ハンドル
を握る寂しい時間帯に、真夜中の暗黒の夜に吸い込まれる恐怖が
有りました。

ジャングルの木陰の闇にチラチラと輝く光があると木の枝と混じ
り合い揺れている錯覚を覚えて何か人魂の光かと感じて、心臓が
『ドキドキーー!』と高鳴り、グッとツバを飲みこんで息を凝ら
して走る抜けた覚えが有ります。

その時は近くで、交通事故で亡くなった人の十字架が立てて有り、
その思いが心に有りまして、ポツン!と夜中の運転で心侘しかっ
たかもしれません、サンチャーゴエステーロの砂漠地帯では

真夜中に滅多に擦れ違うトラックも無い時間帯にヘッドライトを
見つけると嬉しくて、何度もかなり前からライトを点滅して、
窓を開けスピードを落して、轟音の中に大声で挨拶して擦れ違う

嬉しさは、眠気も吹き飛ぶ感じでいつも楽しみでした。
時々休憩所などで再開して握手して、情報交換などをして走って
いましたが、アメリカの高速道路で18輪の超大型トラックの

風圧を感じる重量感を自分の車に感じて走る時代の変遷が、私の
思い出が過去に過ぎ去って行く感じがします。時にはトレラーが
三両も連結して貨物列車のごとく走る姿を見るとなおさらです

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