2012年1月19日木曜日

私の還暦過去帳(143)

私の息子達が30分ぐらいの所に有ります、UCバークレー校に
通っていた頃です、20年ぐらい前です。バークレー校の近くは
1960年台にヒッピー族の発祥地ですが、近所にはロフトと

言う感じのアトリエや、得体の知れないバンドの溜まり場が
有って、路上でもかなりの、これまた得体の知れない人が、店
を歩道で開いていました。中にはかなりの腕が有る芸術家と感じ
る作品を展示して、即売している人もいました。

有る時、用事が有って次男が当時、学生寮のマネージャーをして
いましたのでそこを訪ねたら、食料の買出しでしばらく帰ってこ
ないと言う事で、近所をブラブラと散歩に出ました。

次男がマネージャーの仕事を取ったのは、もちろん選挙で選ばれ
たのですが、マネージャーは寮費が無料と言う特典があるからで
した。しかし、かなり雑用があり大変な感じでした。

ブラブラと歩いて下に降りて行き、賑やかな通りに出て太鼓の
音が聞こえて来ましたので、見に行きましたら、黒人の若い青年
がアフリカ太鼓の乾いた音をだして、リズミカルな踊りの伴奏を

していましたので、見ると、それまた若い東洋人の女性があらわ
な服装で、はだしのまま、何か得体の知れない格好で踊り、腰
をくねらせていましたので、これは面白いと見ていました。

しかし、太鼓のリズムをとる黒人の青年はビシ~!と決まって
中々上手い打ち方で、4個ぐらいの大小の太鼓を打ち鳴らして、
見ていても、聞いていても楽しい感じでした。

しかし踊っている女性は何か場違いな感じがして、どうもピーン
と来ません、それと言うのも、まさに胴長短足でステップの感覚
が『ドテ~!ドテ~!』と相撲の四股を踏む感じがして、笑いが
こみ上げてきました。

ご本人は得意満面で踊っています、しかし観客はチラリと横目で
見て通る人だけです。私の気のせいか、笑って居るような人も居
ます。きっと笑いを我慢して横を通過していると感じました。

しばらく見ていて、日本語で『あ・・・!これを両親が見たら、
驚き、桃の木、サンショの木だなーー!』とつぶやいたら、
途端に、その東洋人の女性が『ギー!』という感じで、私を
ねらみ付けて、凄い形相です。私も『ギョ~!』と感じました。

しかし、そんな事で引っ込むジジイでは有りません、意地悪爺さ
んですから知らん振りして、『よせばいいのに、無理をして
踊らなくてもーー!』と言った途端に、『要らんおせっかい~!』
と彼女が怒鳴りました。

はははーー!やはり日本人でした。

踊っている前に置いてある籠は空で、誰もお金は投げては居ませ
んでした。黒人の青年は盛んに威勢良く叩いていますので、かなり
お腹も減ると感じまして、『お兄ちゃんや~!あんたは上手いなー
ハンバーガーでも、これで食べてーー!』と大枚10ドルをポンと
カゴに入れました。もちろん日本語で言いました。

驚いたことに大阪弁で『ほんまカイな~!10ドルも・・・!
アリガトさん』と来ました。
これには私もまいりまして、驚きました。

そんな事で、時間潰しが楽しい時間となり、ますますバークレー
の町が好きになりました。それにしても雑多な人種の町です。
その時に、近くのエチオピア料理のレストランで食べた料理の
味が今でも忘れません。雑穀の粟で作った料理でした。

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