2012年1月16日月曜日

私の還暦過去帳(140)

私がアメリカに来て、しばらくはレストランの共同経営をして
いました。ビザの関係で昔は簡単に投資家ビザがとれました。
そんな事でしばらくは仕事をしていましたが、時間が不規則で、

子供達とも一緒に夕食も食べられず、週末も忙しくて家庭サービ
スも出来ない事に見切りを付け、私の行動力は迅速でかつ効果的
ですからそこまでが勉強と、昔、アルゼンチンのブエノスで学ん

だユダヤ人の商売人と仕事をして、彼等の物の考え方が生きる、
生き抜く、生き残る、いつも己の人生を自分の民族的平均寿命か
ら逆算して、あと何年ー!今、これをやらないと難しいと話し、

行動する現実的な、時代に即した行動で、学ぶ事が多かった
と感じます、『そこまでが授業料』と言う割り切った考え、
日本人的に『もう少しーー!もうひとがんばりーー!』などと
言う気持ちは、余りもって居ませんでした。

ユダヤ人と仕事をして一番大きな収穫でした。
金は後で稼げるけど、時間はニ度と戻っては来ないと感じました。
そんな事ですぐに仕事を変えまして、買物に行っていた八百屋

の主人が、庭園業を引退して奥さんと二人で開いて居た店で、
すぐに庭園業組合を紹介してくれ、そこには信用組合、健康保険
生活物資の購買部も有りました。親切に教えてくれ、戦後の就職

の難しい時代、殆どの日本人と日系人が関連の仕事を始めていま
した。強制収容所から出て来ても、戦前からの慣れた仕事で、
資本がかからず、日本人の手先の機用さは美しい庭園、温室の

お花や切花などを生産して、確実に信用と事業の拡大をして
アメリカ社会にその勢力を広げて行ったのです。私も庭園業を
振り出しにして、しばらくしてから不動産管理の仕事に移行して

事業の拡大と安定と顧客の獲得に勤めましたが、今では引退間際
の気楽な仕事をしています。この仕事を始めて良かったと感じま
す、カリフォルニアの景気拡大と成長のすさまじさ、近郊の土地

が全米でトップの成長と住宅ブームに乗り、現在もそれが続いて
います、おかげで仕事も、今までは一度も後戻りする事もなく
続けることが出来まして、現在を迎えています。

今、日本ではフリーターと言う自由な職業で、専門的な知識も
余り得られず、将来の希望も的確に掴めないと言う感じの人が
多い様ですが、一度旅に出て、自分の存在感と生活力と、異国

での生きると言う鍛錬を自己の心で味わい、感じ、会得して、
日本で生きると言うことと、己が海外で体験した生きると言う
自己体験で、これからの大切な人生の時間を有効に利用して、こ
れからの生き方を定めてもらいたいと思っています。

私も今まで休まずに走り抜けて来ましたが、一度も時間を無駄に
した記憶は有りません、それだけ真剣に時間を大切にしたと思っ
ています。

以下のHPは私の生き方と行動を書いた事が少し載っています、
長編ですから、暇な時に読んで下さい。

http://www.geocities.jp/paraguaysaga/noguci-002.html

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