私の還暦過去帳(131)
昔の南米の田舎です、リオ・ブランコ(白い河)と呼ばれる所の
河岸から2kmぐらいが耕作地帯でした。
そこの一番奥からは、町まで約15kmはありましたが、道幅
が狭くて、場所によっては車がすれ違う事が出来ませんでした。
ラプラタ河のボリビアから流れて来た支流でしたが、河口までか
なりの距離が有り、確か1700kmぐらいの上流と思います。
川幅もそんな上流ですが、100m近く有り、渇水期で30mぐ
らいの流れでしたが、一度上流で大雨が降ると川幅一杯で流
れていました。
流木も凄くて、大雨の後はインジオ達が流木拾いに精を出して
いまして、かなり製材して使える材木が流れて来ますので、河岸
に流れ着いた材木を牛に引かせて道路まで持ち出していました。
しかし、ボリビア上流で鉱山の排水を洪水の流れに放流して捨て
ますので、注意が必要でした。
47年も昔です、河には沢山の魚が生息して居ました。インジオ
が毎日、漁をして生活が成り立つほど魚が取れていまして、彼等
の昔からの習慣と、仲間のインジオの約束事として、産卵に上が
ってくる、雌の魚は絶対に取らないと言う不文律が有りました。
沢山お腹に卵を抱えて来て、上流の浅瀬に卵を産み付けて孵化さ
せていました。有る時、町に仲買のイタリア人ボスの息子が来て
だいぶ勝手な振る舞いをして、のさばっていました。
シシリア島出身で、マフイーアにも繋がりも有る、野菜仲買の息子
でした。
私達の農場は河岸まで車が下りられて、魚取りでは絶好な場所で
したが、私有地で許可を貰わないと立ち入り禁止でした。
そこに、ボスの息子が新車の小型トラックで網を乗せて魚取り
に来ていました。その事は後で知りましたが、夜の内に来て、
網を河に張り、朝方に網を上げていた様でした。
車に乗せてきていたゴムボートで網を張って、魚を追い込んで
かなりの魚を一網打尽と網に追い込んでいた様で、産卵期に、ま
して私有地に無断で入り込み、勝手に魚を取っているボスの息子
に、連絡を受けて河岸に行って『このやろう~!なめるんじゃー
ねえーー!』と頭に来まして、河の浅瀬に入り網を絞り、魚を
一ヶ所に集めているボスの息子に声を掛けました。
『止めてくれ~!、ここは私有地で、産卵期は捕獲禁止だ』と
怒鳴りました。
その時、私が激怒し『なめるんじゃね~!』と頭に来た言葉を
男がはきました。
『チーノが何を言うーー!』
私は瞬間切れました。
誰からも、一度も言われた事も無い言葉でした。
いつも背中の後ろのホルスターに入れて隠していた拳銃を引き
抜くと、相手の後頭部のうなじに銃口を押し付けました。
まさに処刑する格好です、『びたりーー!』と凍りついた様に
動きが止まり、相手の素肌に鳥肌が立つ感じで、スーッと血の気
が相手の顔から引くのが分りました。
私はゆっくりと『ここはサルタ州だ、サルタの州法では私有地で、
無断で狩猟や魚取りをしたり、家畜を盗んだり、殺したりしたら、
その場で射殺してもお構いなしだぞーー!』
相手はガタガタと震えだしていました。
後方で見ていたインジオの飯炊き婆さんが『早く支配人のドンに
謝りなさい、そうでないとお前は犬死にだよ~!』と声を掛け
私の横に来ると『まだ若いムチャチョだからーー、ブエノスしか
知らない様だから、許してやって下さいナーー!』と懇願しまし
たが、確かに私に殺気がみなぎって居た様でした。
私は拳銃のハンマーの撃鉄を押し上げると、弾倉のシリンダーが
回転して、かすかな音がしました。瞬間、『ひー~!』と言う
ような声がして、『ドン、ノグチーー!許して下さい、』と言う、
声を絞り出すような口調で、何度もつぶやいていました。
私は撃鉄を戻すと、ホルスターに入れ、『さあ~!雄の魚を
各自1匹だけ取ると後は河に逃がす様にしてくれーー!』と
見物に来ていたインジオに話しました。
インジオ達はそれぞれ魚を取ると、私はマチエーテで網と縄を
切ると、魚達が銀鱗を、きらめかして深みに逃げて行きました。
ボスの息子は町から連れて来ていた、インジオの使用人に網を持
たすと、トラックに戻り、手ぶらで帰って行きました。しかし、
インジオ達が彼のトラックに細工して、エンジンに砂糖きびを絞
ったシロップを入れて、座席にサボテンの綿毛を叩いておいた
ので、トラックのエンジンは焼き付き、ボスの息子は2~3日は
死ぬ様なかゆみと、火ぶくれの様になった皮膚で病院で転げ回っ
ていたそうです。
そして2度と現地に顔を見せる事は有りませんでした。
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