2011年12月25日日曜日

私の還暦過去帳(123)

『犬が歩けば棒に当る』と言いますが、しかし人間が歩けばそれは
何に当るか、想像もつきません。この話しは私が思い出すと笑い
がこみ上げて来る出来事でした。
それはリオ・デ・ジャネイロの港に停泊していた時です、乗船して
いた船から降りて町に出かける時でした。

オランダ船の貨客船は高級船員以外は殆どが中国人でした。
日本人乗客に為に日本人コックが一人乗っていました。
それから、事務長は戦前の日本陸軍の士官学校を卒業している
人でしたので、日本語はベラベラでした。

船から降りる時、中国人船員が何か騒いでいます、出口のゲート
が厳しくなって船員手帳のみでは、身体検査で徹底的に調べられ
ると話していました。彼等の内職がこれでは出来ません。
彼等の内職の一番は時計の密輸です、小さくて金になる品物です

当時、日本製のセイコー時計が殆どで、1966年当時の金で
12000円ぐらいの時計が売れていました。
私が船を下りてゲートに行くと、パスポートを提示して通過し
ようとすると、水兵の制服を着た衛兵が止まれと言いました。

私が東洋人で、中国人と勘違いしたと思いました。
若い水兵です、下手な英語で『服装検査するーー!』と言いまし
て、衛兵の小屋に呼び込まれ、『何か隠していないかーー?』と
聞いて来ました。若い水兵の傲慢な態度に『カチーン~!』と来
ていました。

しっこく『何か密輸品を隠していないかーー?』と聞いて来ます、
私はからかって『大型ピストルを所持している』と答えました。
その途端に肩に掛けていた小銃を構えると『隊長殿ーーー!』と
大声で隣りの事務所を呼んでいます、近所に居た仲間の水兵も
銃を構えて私を囲んでしまいました。

私は『チョイーー!まずい事になった』と考えていました。
ハンサムな若い将校が来ると、何事かと聞いています。
若い水兵は『彼が大型ピストルを所持していると白状しました』
と報告して得意な顔で私を見ました。

将校が私の前に来ると、上手な英語で、『ピストルを出して見せ
て下さい』と丁寧な言葉で聞いて来ました。
私は『ズボンから取り出しては見せられないーー!』と答えて
ニヤリ~!として笑っていました。

将校は私がズボンのベルトを緩めて、上のボタンを外して『ここに
入れている』と言うと、ひょいと覗き込み、ニタリ~!と笑うと
『デカイ大型ピストルであるーー!』と言うと、若い衛兵の首を
掴むと『見てみろ~!あれもピストルと言うーー!』とギユー!

と若い衛兵の首をズボンの前に差し出して、見せ付けました。
そしておもむろに私のパスポートを見ると『あのピストルの事を
日本語ではなんと言うーー!』聞きました。
私は『ちんぽこ~!』と言うと教えました。

それからが大変でした。若い将校はパット姿勢を正すと、おもむ
ろに『大型チンポコ殿に敬礼ーー!』と衛兵に命じました。
四人ぐらい居た衛兵が一斉に、小銃を捧げ筒の構えで並んでいま
して、私はどぎまぎして慌てていました。

将校は敬礼して、パスポートを返してくれ、『ニタリ~!』と
笑うと『どうぞ通過して下さいー!』と声を掛けてくれました。
ドーッと衛兵の水兵達がどよめいて笑い、それからは必ず私が
通過する時は、衛兵が『大型チンポコ殿に敬礼ーー!』とやり
笑っていました。

しかし、他の通行人は若い日本人に、衛兵が小銃の捧げ筒の礼で
通過させるので、目を丸くして驚いていました。それも何の検査
無しでしたから、しかし直ぐに日本人コックから話しが来て、
『一度に2個までは時計は船から合法で持ち出せる』と有り、
早速に中国人船員が頼みに来ました。

『降りる度に2個ずつ持って降りてくれ~!』です、そして
『貴方だけは大丈夫ーー!』と笑っていました。
港のゲートを出て、タクシーに乗り近所を一周して来て、時計を
運転手に渡すと、当時の金で20ドル貰えました。

合法的な船から時計の持ち出しです、私も余禄の金を握り、中国
人船員はホットして、衛兵は私が通過するたびに大喜びで
『敬礼』と叫んでは大声で、『大型チンポコ殿に敬礼ーー!』
と、はしゃいでいました。
私のブラブラしている物で、皆が八方、にこやかに納まったのに
は、私も当時驚いていました。

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