2011年12月12日月曜日

私の還暦過去帳(114)

もと百姓が見たインドはこれで最終回となりますが、これから続き
まして、ジジイがボケて忘れて、コトン~!とあの世とやらえ消え
てしまうまでに、まだまだーー、書き残したい事が沢山有りますの
で、セッセト書いてみたいと思っています。
このあとは少し下がった、『ニタリ~!』と笑えるお話も入れて
気楽に読んでもらえるグロブと考えています。

インドの旅の総括を書いている内に、そのインドの政治を見た時に、
観光旅行と言えども、政治が密接に関係している事が分りました。
タージマハルの訪問でインド軍の兵士が警備している事は、インド
の国宝と言われる施設を、隣国のパキスタンとの関係悪化で、テロ

を受けない様に、完全な所持品検査を受けなければなりません。
それからカシミールに行く道路では、関門と通行制限が行なわれて
一部外国人の立ち入り禁止区域が存在します。
私がインドを精査する内に気が付いた事は、中国の国際戦略が

これからの社会主義を維持、発展させる為にあらゆる方策を採って
中国の学校教育から、中国に対しての投資開発の推進、維持と
なりふりかまわない政策が行なわれている事を、インドを通して見る
事が出来ました。同じ大国でも、これからの両国の動きではかなり

の国際的影響は免れません、一番のエネルギー源の石油と核
燃料の供給です。インドで感じたことはチャイナ.マネーの石油資源
への投資です、スーダン復興支援も石油産出を見当てにアメリカが
17億5300万ドルと巨額な支援を表明しているのに、日本は当初

1000万ドルを検討したが、中国を睨み最終的には10倍もの資金
を支援に積み上げたが、中国は30年先を見ているのか、スーダン石油
の開発の97年から本格参入して、石油鉱区の第1、2、4鉱区から
日量30万バレルも生産され、今年の終わりには50万バレルとなると

予測されるが、全輸入量の4.7%を現在スーダン石油が賄っている。
スーダン石油に中国が支払う代金は推定で年間、60億ドルとなる事
を考えると、インドが中東からの石油の最短コースを握り、安定供給
を国家計画の柱にして居る事を考えて、国内生産拡大と消費拡大を
バランスを取りつつも、中国を視野に入れた国内産業開発は、過熱

する事無く、長期に経済発展をするのでは無いかと考えます。
現在上海だけで約4000社の日本企業が進出して、約、34000人の
日本人が滞在している事は、駐在員を人質に取られ、企業秘密や特許
を盗み取られ、コピーされ、知的財産を侵害されて生産ノウハウまで

を全てをむさぼられている現状は、知的インド人からしたら、はなは
だ日本の知的財産的、社会的な損失となっていると話していた。その
支えのスローガンがただ『日中友好親善』と、何の保障も無い言葉で
支えられ踊らされ、日本の国力が失われ、消え去っていく事はインド

人から言われ無くとも、もっと真剣に日本人は考えなければ、ならな
いと思います。 インドを旅して、いまだに牛のフンを乾燥させて燃料
とし、木の枝1本も大切にして燃料とする国民性と、アメリカに住ん
で、慣れて、それがあたり前になった生活からすると、質素で食べる

物も総体に量が少なく、動物タンパクの摂取過多の生活習慣からも、
ほど遠いインドの生活を見ると、これからの 30年、50年先はインド
が生き残って繁栄しているかもしれません。

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