2011年12月2日金曜日

私の還暦過去帳(105)

インドでは人口が多いので、首都に田舎から仕事を探しに出てくる人
が沢山います、仕事も中々見つからず、ホームレスとなる人も多いと
聞きました。オールド.デリーの市街を見物に行った時です、沢山の若
い働き盛りの感じがする人が、ブラブラとモスクの寺院の近くに居ました。

彼等はお昼時間でランチに有り付こうとナンを焼いている店の前で、
しゃがんで邪魔のなら無い様にして並んでいました。ナンを焼いている
傍らには、カレーを煮た鍋が有り、ナンを買い、カレーも買ってお昼の
ランチとする様でした。店の主人はモスラムの様で、頭にはきちんと

手編みの帽子をかぶり仕事をしていました。少し焼け過ぎのナンが有
ると、それを切って、素焼きの小さな皿にカレーを入れてナンと渡し
ていました。男達は奪い合うようにして食べていました。
モスラムの宗教の教義として、『施しーー!』と言う事は重要な事で、

施しが出来る人は、施しを請う人に分け与える事が義務として有ると
話しを聞きました。仏教でも『哀れみと施しーー』と仏様は説いてい
ます。
宗教心が有ればその人の道徳的なバック.ボーンとしての心が有り、
共産主義の社会主義社会では、『宗教は阿片ーー!』と決めつけて、

人の心の道徳心の支えとなる物を破壊して、弾圧して無視していま
した。近年になり、ロシアのプーチンもそれを見直した様に、たと
え社会主義の世界でも、宗教心は必要と感じます、現在の中国が

『万元家主義社会の共産国』と言われて、汚職と賄賂に悩む事は
道徳的な心が無い人が多く育ったと感じます。昔、中国が社会主義
を達成して、『こじきと餓死者が無くなったが、自由と宗教心が同じ
く無くなった』と批判した人が居ました。

インドではまだ施しの精神が有る人が沢山居ます、私もそう感じます。
あれだけ沢山の物乞いする人を目にして、それに施しを与える人も居
ると感じました。施しを受けて、授けた人に合掌して感謝して、
『貴方に神様の祝福が有ります様にーー!』と言う物乞いに、見苦し
い感じはしませんでした。

インド人のバック.ボーンとなっている宗教は決して、無意味な教え
では無いと心に感じたしだいです。

次回はインド人の数学に付いて書きます

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