2011年11月21日月曜日

私の還暦過去帳(96)

今回のインド訪問で私が感じた事は、人口巨大国では
その人口比の10%でも、高学歴、教育程度の高い専門
職を維持し、発展させて、これからの人口増大を産業経済が
支えると言う、日本経営方式を取ると確信致しました。

専門家の意見を待たずとも、たとえ10%の人口とすれば、
1億1千万人と言う、日本の人口に匹敵する、最先端の技術
者の集団が化学IT産業教育、英語教育、デジタル専門教育
などの高度な教育を身につけた人間が動き出すのです、恐ろしい

感じがします。トヨタ自動車がそこを読んで、これからの投資先に
インドを据えた事は先見の目が有ると感じます。中国は所詮は
共産社会の社会主義政権です、中国政府が頭を抱えるほどの
上級共産党の幹部と政治責任者が腐敗と汚職と官僚主義に

汚染されている事を考えると、資本主義社会を進めるインドがまだ
これからの世界で、国民の10%がここ十年先に生活改善、所得
倍増したら、これは凄い国となると感じました。今の中国がとても
太刀打ちする事は出来ない事です、デリーの高級住宅地で毎朝の

出迎えの車を見ると、ホンダのアコード、トヨタのカローラ辺りが
普通でした。一般庶民は小型のスズキやTATA、フォード、韓国
現代、などの車が売れ筋と感じました。一応日本車は全部走ってい
る感じでしたが、日本で見られる高級車は有りませんでした。

私がインドを見て中国人を余り見かけない事に驚いたのは、利に敏い
中国人を打ち負かす、インド、ボンベイ商人達、特にシーク族はその
代表と言われる人々です、酒、タバコ、は一切ダメーー!、かなりの
シーク族の掟があり、連帯と結束が固い人達です。中国人が異国で

初めて移住して行く行程はクリーとして、昔は奴隷的な労働で出発
して居る事を見ると、インド洋の真中に浮かぶモリーシャス諸島で
砂糖キビ労働者として先祖が来て、そこで住み付いた中国人が殆ど
中国料理屋を開いて、商店なども合わせて持ち、地域社会で這い上

がった行程を見れ、インドを治めていた大英帝国がインドで生産した
阿片を持って中国の銀を持ち帰った事例を見ても、上には上が居るの
です。その中国人もアフリカのモザンビークで見た時も同じ感じで、
中国料理屋を経営して、商店を開き、貿易を起して、ここでも底辺

からの這い上がりの人種と感じました。しかしインド商人はその上
を行っている感じがして アフリカの有る国で、独裁大統領がインド
人を弾圧して押えたら、国家の金庫まで空っぽだった事が事実とし
て有ります。所詮、中国人は箸で食事をする人種、インド人は手で

食べる人種、中国人は全ての動物は象でもクマでも、トラでも、牛
でも豚でも食べてしまう民族です、インド人はその反対を行く人種
です、どちらが思考的に耐えられるかはインド人を見れば中国人など
問題ならないと感じます。昔、底辺に居たインド人は 中国人のクリー

より耐える力があったと聞いた事が有ります、それは初期のアメリカ
開拓でも有った様ですが、特に農業ではカリフォルニアで、日本人や
フイリッピン人などの労働者に圧されて居なくなりました。それと
生活条件がボーデングハウス(下宿屋)での集団生活で、食生活の格差
が大きかった様です。
豚肉のベーコンやソーセージ、牛肉のステーキなどを食べる事が 普通
の労働者でも有り、インド系がはみ出して行ったと感じます。
私が日本に帰国する時にアフリカ経由で帰ってくる船中で、学が有る
人が講義してくれましたが、インドを治めていた大英帝国の

イギリス人達が使用人として忠実なインド人召使を連れて、アフリカ
諸国に行き、その子孫が根を張り、また、インド駐留イギリス軍の
弾除けとしてインド人部隊を創設して、各地に駐屯して、そこから根
を広げて行ったと話していました。第一次大戦ではインドから出征し

た兵士が15000名?ぐらい、イギリス軍の弾除けとなって戦死し
たと聞きました。そんな経歴をたどって、アフリカなどに沢山のイン
ド人が根を張ったと感じます。特に軍隊の下士官はシーク族が多く
占めた様です、デリーに有るインド門を警備する、兵士はターバンを

巻いた体格の大きなシーク族の兵士が立っています。大英帝国時代に
イギリス政府は、南アフリカの植民地開発に沢山のインド人の労働者
を利用して鉄道敷設、道路建設、都市開発などをさせた様です、その
末裔が現在のインド人として、南アに住んで居ると感じます。


モリーシャス諸島で私が乗船していたオランダ船が2日半ほど停泊し
たおりに見たモリーシャスはフランス語を話して、又イギリスの占領
下でも有った事が有り、その当時の砂糖きび農園での労働者として南
部インド人が多数来た様です。

当時、日本のマグロ船が港に停泊していて、マグロの塊を差し入れて
くれた思い出が有ります。中国人が経営する中華レストランで食べた
料理は本格的で、たしか広東料理の味だったと思います。そこの港か
ら香港まで乗船した中国人は皆、1等か、2等船客で、感じが何か、
故郷に錦を飾る感じを受けました。
 
労働者として中国人がパナマ運河の建設で仕事をして、パナマに居つ
いた事は 事実ですし、アメリカ横断鉄道建設に中国人が労働者とし
て仕事をして、カリフォルニアのサンフランシスコにチャイナタウン
が出来るほど住み付いています。

ハワイの砂糖きび農場でも同じで、日本人が多数ハワイに住む原因と
なりました。 それにしてもインドの人達は世界の各地に、日本人以
上に移住した様ですーー!
 
次回はインドのクリニング屋に付いて書きます。

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