私の還暦過去帳(93)
インドの食文化はペルシャ時代からまた、アフガニスタンからの進攻
が有って、一部北部インドが支配下に納められた時代や、大陸の
地続きの世界で、アレキサンダー大王のインド進攻までさかのぼると
インド人の中で、肌の白いギリシャ系の顔立ちの人も見られます、
タージ.マハルを建造したムガル帝国第5代皇帝の時代もペルシャ
の影響は大きく、ペルシャ語で書かれたコーランの経典の一節が
タージ.マハルの寺院の壁画に刻まれて残っているのを見ると、当時
の食文化の交流がいかで有ったか、同じ小麦粉で作るナンとジパチィ
に別れる様に、首都デリーのインド料理レストランでの食べ物にも変
化が有ります、私が想像するには、全ての近隣諸国の食べ物と、また、
食文化が混ざり合ったのが、現代インドの今の食文化として、形成さ
れたと感じます。それにしても毎日良くもカレー、カレー、カレーと
食べられるものと感心したものです、いくら若いと言っても私の次男
を見ても分る様に『日本食飢餓症候群』のストレスを抱えてしまう
様になると、インド料理も厭きてしまうのではないかと思いました。
私もデリーでケンタッキー.フライドチキンなら食べられると思って
いましたが、残念ながらチャンスは有りませんでした。私がデリー
でがっかりした食べ物は、韓国料理でした。かなり有名なホテルに
有りましたが、サンフランシスコの韓国人街に有る店と比べても、
その味付けも、皿数の少なさ、量は半分ぐらいと感じました。当地
で営業したら1ヶ月で潰れると感じました。私が通う当地の韓国レス
トランは、当地の韓国人がソウルで食べるより、美味しいか同じくら
いだと教えてくれた店です、 いつも満員で、週末は並んで待ってい
ます、石焼ビビンパなどは本格的で、焼肉も直火の炭火で焼いて食
べます、もうもうと焼肉の煙りが店内に立ち込めて、換気扇がフル
に回転しても間に合わないと感じるほど沢山テーブルで焼いて食べて
います、デリーで外れた食べ物でした。
しかし沢山食べ歩きした中で、一番高い値段であとでカードの請求が
来て、『ぎょ~!』とした値段でした。それと今まで食べた冷麺の
中で 一番まずい麺でした。ワイフいわく、『損した感じーー!』
私も同感ー!
次回は食材と調理に付いて書きます。
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