2011年11月17日木曜日

私の還暦過去帳(93)

インドの食文化はペルシャ時代からまた、アフガニスタンからの進攻
が有って、一部北部インドが支配下に納められた時代や、大陸の
地続きの世界で、アレキサンダー大王のインド進攻までさかのぼると
インド人の中で、肌の白いギリシャ系の顔立ちの人も見られます、

タージ.マハルを建造したムガル帝国第5代皇帝の時代もペルシャ
の影響は大きく、ペルシャ語で書かれたコーランの経典の一節が
タージ.マハルの寺院の壁画に刻まれて残っているのを見ると、当時
の食文化の交流がいかで有ったか、同じ小麦粉で作るナンとジパチィ

に別れる様に、首都デリーのインド料理レストランでの食べ物にも変
化が有ります、私が想像するには、全ての近隣諸国の食べ物と、また、
食文化が混ざり合ったのが、現代インドの今の食文化として、形成さ
れたと感じます。それにしても毎日良くもカレー、カレー、カレーと

食べられるものと感心したものです、いくら若いと言っても私の次男
を見ても分る様に『日本食飢餓症候群』のストレスを抱えてしまう
様になると、インド料理も厭きてしまうのではないかと思いました。
私もデリーでケンタッキー.フライドチキンなら食べられると思って

いましたが、残念ながらチャンスは有りませんでした。私がデリー
でがっかりした食べ物は、韓国料理でした。かなり有名なホテルに
有りましたが、サンフランシスコの韓国人街に有る店と比べても、
その味付けも、皿数の少なさ、量は半分ぐらいと感じました。当地

で営業したら1ヶ月で潰れると感じました。私が通う当地の韓国レス
トランは、当地の韓国人がソウルで食べるより、美味しいか同じくら
いだと教えてくれた店です、 いつも満員で、週末は並んで待ってい
ます、石焼ビビンパなどは本格的で、焼肉も直火の炭火で焼いて食

べます、もうもうと焼肉の煙りが店内に立ち込めて、換気扇がフル
に回転しても間に合わないと感じるほど沢山テーブルで焼いて食べて
います、デリーで外れた食べ物でした。

しかし沢山食べ歩きした中で、一番高い値段であとでカードの請求が
来て、『ぎょ~!』とした値段でした。それと今まで食べた冷麺の
中で 一番まずい麺でした。ワイフいわく、『損した感じーー!』
私も同感ー!
 
次回は食材と調理に付いて書きます。

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