2011年12月7日水曜日

私の還暦過去帳(111)


インドに滞在していて一番感激したのは、ガンジー翁の火葬場の跡
を記念碑とした所でした。
私が子供の頃に白黒のニユース映画で、ガンジー翁が火葬される所
を見ました。その当時は彼が非暴力主義で、サンダルと杖でインド

の国民服をまとって、田舎を廻りインド独立を説いていた精神に敬服
していました。子供心に何か白黒の映画から天に立ち上る煙を見て
いつかインドに行ったら、必ずや訪れて祈りを捧げたいと思っていま
した。

ガンジー翁のお墓は有りません、遺骨はガンジス河に流してしまい、
そこの火葬をした現場がインド建国の父としての霊廟として綺麗な
公園として造られて、その中央に祭壇として飾られていました。
幾千のお花で飾られた台は、人が踏まない様にとの事からでした。

私が訪れた時に、どこかの外国の賓客がきて花輪を献花してありまし
た。それと北部インドから来た多数のインド人が参拝に来ていまし
た。バスで遠くから来たみたいでした。霊廟は靴足厳禁ですから皆
さんは靴はバスに置いて来ている様でした。裸足で歩いて来ていま
した。

私はしばらくガイドの話しを聞いてから、感慨に耽っていました。
ガンジー翁が若い頃に南アフリカでの滞在で、仕事をして大英帝国
の暴虐ぶりを肌で感じていたと思います、しかし彼は非暴力主義を

掲げて、空拳で、説法での民族自結を推し進めた事に、いつも心震
へる様に感じていました。私も南アフリカでの経験が有ります、
その頃は血気にはやり、『矢でも鉄砲でも持って来いーー!』
の勢いが有りました。

しかしガンジー翁が試みたその非暴力主義は,私にしては驚異でした。
私の若い頃は『目には目を、歯には歯をーー!』の精神で、やられ
たらやり返すの心構えでいつもいましたので、殴り合いなど良い方
で、狂犬の様に何人居ても武器を持って噛みついて行きました。

早い話が、殺し合い寸前まで行きました。それはいつも拳銃を隠し持
ち、『なめるん~じゃネーー!』と言う心構えと、暴力を肯定してい
たからと思います、ガンジー翁の生涯を書いた本を読んで、心染み
まして、いつの日か霊前に額ずいて、お参りしたいと言う気持ちは
消す事が出来ませんでした。

晴れた空の青さと綺麗なお花のコントラストを見ている内に、何時の
間にか膝を折り、廟の祭壇の前で土下座する様にして頭を下げていま
した。
納得して、気が付くまで頭を下げていました。私は感極まって泣いて
いました。

脳裡に浮ぶ、白黒の映画の画面が横切り、彼を暗殺した暴力の無残さ
を感じました。私も歳を取り、歳月が全てを流していたのか、ただ涙
が出ました。気が付いて廻りを見ると、何人かのインド人が目を見開
き、驚異の眼差しで私を見ているのを感じ、中には涙している人も居
ました。

北部インドはガンジー翁の出身地だからです、彼等が崇拝する建国の
父の前で異国の参拝者が土下座している事は、彼等にも何か感ずる事
が有ったと思います。
帰りに振り返ってもう一度、祭壇のお花の色を心のカメラが
『パチリ~!』 と写していました。

次回はインド訪問の結論を書きたいと思っています。

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