2011年12月13日火曜日

私の還暦過去帳(115)

私のインド紀行が終りまして、これからは軟鋼、取り混ぜてお話
を致します。時々、私の専門的な事も混じるかも知れませんが、
宜しくご愛読下さい。

私が南米から日本に帰国する時でした。当時はまだ客船の時代で
飛行機などは金持ちか、会社関係でも社長などのお偉方が利用
している時代でした。飛行料金はブラジルから東京まで利用する
と、日本の田舎では家が買える値段でした。

そんな事で、私がブエノスから乗船して、当時のアフリカ経由で
横浜まで乗っていました。リオ.デ.ジャネイロの港には3日間
ぐらい停泊していて、船に泊まるのは暑くて、狭い船室ではとて
もでは有りません、それと3等船客は船底の部屋で、荷物が

が載せられていましたので、日中はうるさくて、街に逃げ出して
いました。リオの港の直ぐ近くには沢山の安ホテルが有り、船を
待っている乗客や、船員達が家族と再会する為に泊まっていま
した。訪ねて来た家族と数日間楽しい夫婦生活を過ごして、また

船は出航して行きます。それから若い船員を相手する女達も
そこに住んでいました。賑やかで、華やいた感じのする場所で、
ホテルの下は大抵は酒場となり、レストランなども有りまして
食事や酒を楽しめる、港の歓楽街となって夜も遅くまで賑やかに

人が絶える事無く、歌声や声高く人を呼び込む声などがして、
我々が好んで行く様な所でした。私も船の食事は美味しくも無く
ステーキとサラダを食べたくて、レストランに入り友達と食事
を楽しんでいました。食事の後は、酒場に移動して飲んでいまし

たが賑やかで、沢山の若い女の子が遊びに来ていました。
私もダンスをして、飲んで、踊り、すっかり浮かれて気が合う
白人と黒人の混血の若い子と、しこたま飲んでかなり酔って
だいぶ遅くなった時間に、予約してあったホテルの部屋に戻り

ましたが、彼女が付いて来て、泊まりたいと言って私の腕を
掴んで部屋まで来ました。私は船からは簡単な着替えと洗面
用具だけ、小さなバッグに入れてもって来ていました。
彼女はTシャツにマンボ.ズボンで底抜けに陽気な感じの子で

したが、部屋に入るといきなり、ポンと全てを脱ぎ捨てて、
シャワーに入るなり、何か唄いながら汗を流している様で、終る
と腰にタオルを巻き付けて出て来ました。私にもシャワーを浴び
る様に言って、さっさとベッドに座り髪を乾かしていました。

私もシャワーを浴び、腰にタオルを巻き付けて、冷たい水を飲ん
でいました。その時ですーー!突然に悲鳴とも、絶叫ともつか
ないあえぎ声で、こちらが『ぎょー!』とする様な大声で
高く、時にはすすり泣く様な、まるで女性が拷問でも受けている

かの様な感じを受けましたが、耳を澄ますと激しく肉体を打ち
合う様な音も聞こえます。安ホテルの防音などの装置も無い
昔の部屋です、私はそーッとドアを開けて廊下を見ると、
何と~!そこにはすでに四組ぐらいのカップルがドアを開けて

声がする部屋を見ていました。お互いにニッコリと笑いーー!
一人の若い男が、手であのしぐさをしてから、大げさに口を
開けて声を出すゼェスチャーをして、皆を笑わせました。
しかし誰も声を出して笑う人は居なくて、『ニタリ~!』です、

しかし驚きました。遠慮なく、絶叫に近い声で、おそらくホテル
中に聞える声で、わめくとはーー!さすが南米の国のおおらかさ
と感じました。その内に絶叫は今にも絞め殺される様な、あえぎ
声と、悲鳴に近い堪え切れない『ウーガャ~!』と言う一声で

シーンと静まり返りました。良く見ると廊下には6組ぐらいは
顔がドアから覗いていました。お互いに手を振り、『ヤーヤ!』
と言う感じで挨拶して、中の一組は、『俺達もこれからやる
からーー!』と言う感じのジェスチャーをするとドアを閉めま
した。

今でも思い出します、その夜の光景を!、若い時でしたが忘れら
れない思い出として今でも持っています。

次回もリオの夜に起きた思い出を書きます。

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