2012年1月3日火曜日

私の還暦過去帳(130)

私が犬の話を思い出すと、この話も書いて置きたいと思います。
私が47年前にアルゼンチンのサルタ州で農業をしていた頃です、
季節労働者が収穫時期に沢山仕事に来ます。
大抵は近所のインジオでしたが遠くボリビアからも来ていました。

時々、収穫時に来ていた中年のインジオでしたが、何時も犬を
連れていました。ワイフは居なくて子供を一人連れていましたが、
町の近所の部落に親戚がいて、仕事に来る時は子供を預けて
来ていました。

週末は忙しい時も必ず町に帰り、子供と過ごしていた様でしたが、
子供の学校が休みの時には農場に連れて来ていました。
彼の仕事は請負いで、トマトなどの手入れを請負作業する仕事でし
た。トマトの芽かきや、成長に合わせてそれを縛る仕事で、50m

単位で、1本幾らと言う勘定で仕事をしていました。
子供を側の畑に犬と共において、自分は暑い盛りを仕事に精を
出していました。有る日、彼が珍しく仕事に出て来ませんので
様子を仲間に聞くと、彼の子供が嵐で町の高圧電線が倒木

で架線が切れて、誤ってそれを踏んで感電死したと教えてくれ
ました。悲しい突発的な出来事でした。
彼は小屋で酔って寝ていまして、起こしても起きないほど溺酔
して、全ての気力を失っていました。

彼の犬が側でジッと座り、見守る様にして薄ぐらい小屋で座り
込む姿が見られました。私も心配で見廻りの時に小屋に寄ります
と、犬がジッと小屋でうずくまって居ました。
何も犬の食べ物は有りません、水瓶が小屋の中に有るだけで、

私はその小屋に彼にはトウモロコシのお粥と、犬には筋肉の乾肉
を幾らか持たせました。静かな小屋の中で、お粥が入った鉢の
側で犬が心配そうに飼い主を見て居るのが、見廻りで寄った時に
見かけまして、私は酒瓶を小屋から持ち出すと、その中身の
焼酎を全て捨てて仕舞いました。

しかし、仕事には出て来ませんでした。気力を失った様でした。
河の岸辺の水揚げポンプ小屋に見廻りに行った時に、岸辺で
犬を抱いて河の流れを見ている姿が有り、やつれた後姿を今で
も思い出します。時々、仲間が運ぶ食事も残している様でした。

岸辺に座り込む飼い主の顔を、犬が優しく傷ついた彼の心を慰め
る様に舐めていました。私が仲間のインジオに酒は絶対に売っ
たり、与えてはいけないと注意して厳命していましたので、酔い
潰れる事は有りませんでした。

しかし、彼が何処に行く時も、犬は後ろを付いて歩いていました。
週末に焼肉のバーベキューをしていたら、犬がおこぼれの骨などを
貰いに来ていました。アバラ骨の、まだ肉がかなり残った所を
与え食べさせました。しばらくはろくな食物を貰ってはいなかった
のか、かなりやつれていました。

沢山食べて犬も満足そうにして、側の灌漑用水の水を飲んでいま
して、私も安心しましたが、ふと思いついてパンに焼肉を挟ん
で新聞紙に包むと、まだ暖かい包みを犬を呼んでくわえさせ、
小屋を指差して、持ち返る様に指示しました。

犬は私の顔を見上げると、包みをくわえてボコボコに乾いて
埃っぽい道を、嬉しそうに尻尾を振りながら小走りに帰って行き
ました。その翌日です、彼が犬を連れ訪ねて来て、請負いの仕事を
精算してくれと話して、昨日の焼肉のお礼を言ってくれました。

少し精気が戻っていました。これから子供が死んだ現場に十字架
とお花を捧げて、南のリンゴ地帯に、手入れと収穫に行くと話し
て、タバコをトウモロコシの薄皮に手巻きして、吸っていました。
彼は精算した現金を懐に入れると、農場の売店でいくらかの

食料品を買うと、犬と町に続く道を歩き出しました。
暑い日差しの下で、犬と僅かな荷物を持った後姿をジャングルの
木陰に消えるまで見送りました。別れぎわに、『南に下りてリオ
ネグロあたりで、しばらく全てを忘れるまで、そこで仕事をする』
とポツリと話したのを覚えています。

ボコボコに乾いた農道のかげろうの揺らめく中を、犬と並んで
歩き、小さくなる姿が今でも忘れることは出来ません。

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