2011年12月29日木曜日

私の還暦過去帳(126)

夏休みの暑い盛りでした。丁度、その日が8月6日でした。
暑い九州の夏です、セミ時雨が絶え間無く泣き、昼下がりの
市民プールからの水泳の帰りでした。

急に曇り、風も出て来て何か夕立の感じでした。一緒に行った
友人と別れ、一人で歩いていた時です、雷が鳴ると同時に雨が
パラパラと降り出しました。

私は慌てて公民館の建物の軒下に飛び込み、傘も無くてぼんやり
して、夕立の凄い雨を見ていました。
気がつくと側に誰か雨宿りをしているのが感じられ、良く見ると
お坊さんでした。

目が不自由な感じで、盲人が持って居る白い杖を右手に持って
小さな木造の公民館の縁側に座って座禅を組んでいました。
『そこの雨宿りさんーー!ここにお座りなさい!』と言うと
手真似して私を呼びました。

ニコニコして愛想の良さそうな感じの坊さんでした。
肩から斜めに掛けていた袋から、『法事のお下がりの饅頭だが』
と言って私に2個の饅頭を差し出して、『食べなさいーー!』
と勧めてくれました。

プールで泳いでいたので、かなりお腹が減っていましたので、
有りがたく頂いて口に入れて食べていました。
食べ終わると、また袋から小さな水筒を出すと『麦茶だけどー』
と言ってフタに注いでくれ、勧めてくれました。

私は丁度、何か飲みたかったので、それもあり難く飲みました。
雨はまだ激しく降っていました。ぼんやりしていて、私はフト!
気が付くと訊ねました。
『お坊さんは何でも、僕の心が分る様だーー!』
『お腹が空いていた事も、何か飲みたい事もーー!』
『どうして分かったの?』
と聞いていました。

その頃は、まだ中学生頃で、何でも興味があった頃です。
ズケズケと聞いていました。
坊さんは笑いながら『目が殆ど見えないから、心で感じる』と
話してくれました。

私は不仕付けに『どうして目が悪くなったのーー!』聞いていま
したが、坊さんはいやな顔一つしないで『広島のピカドンで!』
と答えてくれました。

『防空監視壕からB29を見上げて、パラシュートが投下され
 たのを見ていたーー!そしたら、閃光が走り一瞬で、全てが
 消し飛ぶ感じで監視壕の中に叩きつけられ気絶していた』と

話してくれ、それ以来、目が見えないと言って、にこやかに私に
『命が助かっただけでも、仏様に感謝しているーー!』と言う
と『部隊に居た沢山の、仲間の兵隊さんが原爆で死んでしまった』
と言うと、数珠を手に拝む様に手を合わせていました。

私の心はシーンとして、聞いていました。お坊さんは空を見上げ
て、『今日はお天道様も泣いているよーー!』と言うと白く濁っ
た目から涙がこぼれていました。そしてひとり言を話す様に、
 
『同じ監視壕に居た仲間の兵士に助けられて、手を引いてくれ
る道すがら、何人もの原爆で死んだ人に行き当たった』

『それから沢山の人が水・水ーー!と叫んで苦しがって、欲しが
 って叫んでいた』と言うと、ポロポロと涙をこぼして泣いてい
ました。
私は『シューン』として聞いていました。

気が付くと雨が小止みとなり、虹が遠くの空で綺麗に七色の橋
を作っていました。お坊さんは衣の袖で涙を拭くと、 

『今日は何の日か知っているかいーー!今日が広島の原爆投下
 の日だよーー!』『死んだ仲間の兵隊さんの法要で、お経を上
 げて来た帰りだよーー!』と言うと、

『戦争はむなしいねー!悲しいねー!悲惨だねー!』

つぶやくと、雨上がりの、虹が輝く空に両手を合わせて祈って
いました。

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