2012年1月1日日曜日

私の還暦過去帳(129)

私がアメリカに来た35年も前の年でした。
正月過ぎて家族がサンフランシスコに来ると言う計画で、すっかり
準備して待っていました。早目に仕事をかたずけて帰宅してガラーン
とした静かな家で日本のワイフの郷里広島の田舎に電話して一人、大
晦日を過ごす予定でいました。家族がこちらに来てから正月をやりな
おす考えで、真夜中の零時の新年を待っていました。

十分ぐらい前から花火が上がり、町全体が何か異様な騒音となった
感じでした。2~3分前には下の道を走る車が警笛を鳴らして、何か
静かだった町が騒音で沸きあがる感じでした。
零時と同時に、ポン~!と大きな花火が上がり、それと同時にかなり
の銃器の発射音が連続して聞えて来ました。

『ドドーー!』『パンパンーー!』と時々は『ドーン』と言うかなり
強烈な音も有りました。それと同時に、裏のパテイオの広い窓に、
『サラサラーー』 『ピンピンーー!』と散弾の弾が当たる音がして
います。 一瞬、ぎょ~!として、飲みかけていたビールをおいて、
窓際から離れて外の様子を見ていました。誰か私がこの家を買って引
っ越してきたのを歓迎している感じでした。

『ドーン』と言う轟音が鳴り響くと、直ぐにパラパラと言う音が屋根
や壁に響くのが分り、『こんちきしょう~!やりやがったな!』と言
う感じが心にむらむらと湧いて来ました。当時はまるで野放しの感じ
で、30年も前は銃器での祝砲がライフルや散弾銃、ピストルなど自動
拳銃の連射音も聞えて、『すげー!やはりアメリカでは、やりあがる
な~!』と言う感じでした。

現在私がパソコンを叩いている窓の外では、そろそろ花火が上がり出
しました。現在では静かです、それと言うのも法律で禁止されたから
です。 違反すると、拘留され、罰金と使った銃器類は没収となりま
す、それから音響探査レーダーがピンポイントでの発射地点を割り出
して、直ぐに警察のパトカーがすっ飛んで来ますから、逃げられませ

ん。そんな事で現在は午前零時の新年に実弾が飛んで来る事は有りま
せん、しかし私は翌年には昔、南米での実戦の経験と、イヤと言うぐ
らい射撃はしましたので、それも農場の作物を守る為に、散弾銃を一
日中撃ちまくる事は、肩が青く脹れるくらいになります。一番被害の
多かったのはオレンジとピーマンでした。

オレンジは中の果肉のジユースを突付いて食べます、ピーマンは10
cmぐらいの大きな実で、中の種を食べますのでかなり大きな穴を開
けるので売り物にはなりません。そんな事で経験豊富でしたので、だ
いたいの発射地点は覚えていましたので、次ぎの年の大晦日の午前零

時には準備万端で用意していました。第二次大戦で使用された旧ドイ
ツ陸軍の主力ライフルK98の8MM口径と、ガンショウーで買ってきた実
弾が一山いくらと言う感じで買って来て有り、耳栓をして轟音を避け
る用意もしていました。

その時も同じくドカン!と始まり、なべ釜、フライパンなどを叩く音
が近くのアパートなどからしてきましたが、それそれと!私もワイフ
がオロオロするのを尻目に撃ちました。『ドカーン!ドカーン!』と
連続して弾倉に五発実包を装填していましたので、連射して最終の弾
を撃ち終わり、ボルトを引いて空薬莢を排出しました音が、

『ガシャーン』と言う音と同時に、下のコンクリートにピーンと音を
立てて転がって行くのが分りました。しかしおかしい事に静かです!
空薬莢が転がる音まで聞こえました。気がつくと近所のアパートもフ
ライパン などバンバン叩いていたのが聞えません。はてはてーー!
と思っていたら、

轟音の連続しての発射音で、たぶん近所ではあの日本人が気が狂った
かと思った様でした。後でワイフが話してくれたのでしたが一瞬、
『ビシー!』と言う音の衝撃が窓に走ったと言っていました。銃口か
ら火炎が30cmも吹き上がり肝を冷やしていた様でした。それもそのは
ずワイフなどは鉄砲の『テ』の字も知らなかったからでした。

しかしその年は私の家には散弾銃の弾の雨が降ってくる事は有りませ
んでした。そして近所で私に歓迎してくれた住人もそれ以降はまった
く静かになりました。
それからしばらくして、近所が話してくれた事は・・・・
『お前にはぶったまげた~!』と言っていました。

今の時刻は零時を少し回ったところです、もう静かです。
シーンとして、新年の朝を迎えて居る様です。おやすみなさいーー!

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