2012年1月23日月曜日

私の還暦過去帳(146)

私が仕事をしていたアルゼンチンとボリビア国境の農場は、かな
り暑い所でした。かれこれ今年で47年前になります、当時は
クラーなどは数えるほどしか個人では所持していません、特に

私が住んでいたエンバルカションの町は貧しい田舎町でした。
車で通過するのに5分もかかる事は有りませんでした。
北回帰線から100キロは内に入っていたので、夏はかなり暑さ

が厳しい所でしたので、午後一時過ぎると農閑期などは死んだ様
に昼寝をしていました。トラックも余り通過する事なく、昼間は
小さな町がゴースト・タウンの感じがしていました。

今でも思い出します、町の中を通過する、ボリビアに上る国道が
車一つ通過する事なく静まり返り、昼寝の時間は商店も店を閉め
未舗装のジャリ道が風に吹かれて埃が舞い、どこか西部劇の映画

に出てくる感じの町並みと一致して、どこと無く国境の町という
感じでした。商店は夕方涼しくなって開き、夜の9時過ぎまで
開いていました。涼しくなると、どこからか人が出て来て少し賑

やかな感じとなり、バーも開いて冷たいビールも飲むことが出来
ました。私が季節的に農閑期も過ぎ、そろそろ人手が要ると感じ
ていた時です、町の鉄道駅の近くのレストラン兼バーという

感じの店の前テーブルで座って、生ハムのサンドイッチとビール
を飲んでいました。その時、近くの木の下で数人のボリビアから
来た出稼ぎの労務者が、仕事を探している様でした。

肩に担いだ毛布に、自分の全ての財産のわずかな持ち物をまとめ
て入れていますのでまるで職探しのサインをしている感じでした。
その中の若い一人が、遠慮がちに近寄ってくると、

『仕事が欲しいのですが、何か仕事は有りませんか』と聞いてき
ました。真面目そうな若い青年です、『トマトの栽培だが経験は
あるのか、』と聞きました。『請負で生育の管理もした事がある』

と答えたので、いくつかの質問にも全部答えて、かなり経験があ
りそうな感じでしたから、農場に連れて帰ることにしました。
植付けの準備を始めていましたので、即戦力のある経験者を優遇
していました。

しばらく待たせることになるので、サンドイッチとビールを買っ
てやり、街角に駐車しているトラックで待つ様に指示してその
夜、農場に連れて帰りましたが、翌日から良く仕事をしてくれて、

自分から進んで仕事をしてくれ、すぐにかなりの広さのトマト畑
の管理を請け負うことにさせました。良く仕事をすればかなりの
収入になります、私は良いボリビア人の労務者を雇ったと感じて

いましたが、彼の生活ぶりは爪に火を灯すと言う感じで、節約し
て金を貯めていましたので、感心して見ていました。
労務者の小屋で自炊をして、酒やタバコは一切手を出す事なく、

休みの日は河で魚釣して、ナマズなどは干物にしていました。
ボリビアの労務者が良くコカの葉を噛んで居ますが、彼はその様
なことに手を出す事なく、何しろひたすらに稼いだ金を貯めてい
ましたので、何か訳があると感じていました。

私が町に肥料を取りに行った時に、トラックの荷降ろしの助士と
して連れて行き、帰りのトラックの中で、何気なく聞きました。
すると、『母親が病気でその手術の費用がかかるので、頑張って
いる』と話してくれました。

急いで稼いで帰らないと、手術に間に合わないと話してくれ、
その真剣な口ぶりが、今でも忘れることは出来ません。
彼は良く仕事をしてくれ、若いながらトマト管理の責任者として
も良いと感じていました。

ある日、彼の知合いが農場を訪ねて来て、母親の様態が急変して
すぐに帰郷する様に知らせを持って来ました。
彼は私のことろに来ると、今までの労賃を精算してくれる様に

頼みましたので、途中で襲われて金を強奪されない様に高額紙幣
にして靴の中に隠す様にして、わずかな金額を古いぶよぶよの
小額紙幣にして見せ金にしてやりました。過去に幾度も強盗に

襲われて身包み盗られた、ボリビアからの労務者を知っていたか
らでした。翌朝、町に出かける用事で、彼も連れて乗せて駅まで
行きましたがしかし、ボリビアまで行く列車の3等は夜は危険で

私も駅に行き、これまで彼がよく仕事をしてくれたお返しに2等
の切符を買ってやり、いくらかの食料も持たせました。
彼は何度も感謝して、私の手を握り、彼が暇な時に作った竹笛を
プレゼントしてくれました。

私が欲しかった物で、私も貰い物のナイフでしたが、細身の握り
が鹿の角で出来た折りたたみの大型ナイフをプレゼントしました。
ベルトに差していても目立たないナイフでした。

その日はあまりボリビアに上る汽車は込んではいませんでしたが、
3等はいつも出稼ぎの労務者が溢れ、木のベンチは固くて長旅に
は辛い乗車となると思いました。彼は2等車両の窓から顔を出し

て見えなくなるまで手を振っていましたが、彼と別れてしばらく
して、町の郵便局の私書箱に手紙が来ていました。
彼の手紙で『汽車がボリビア領内に入った所で、列車の夜の便所

に出た所を、デッキで強盗に襲われ、用心にナイフの刃を開い
てズボンのベルトに差していたので、それを振り回して助かった』
と書いて有り、母親も手術をして今は様態も快方に向かっている
と便りに知らせが有りました。

私は駅の近くの行き付けの、レストラン兼バーのテーブルで読み
ながら、人生の僅かな時間にめぐり会いい、別れて行った男の平凡
な当時の成り行きを思い、『袖すり合うのも多少の縁』で人生の
奇遇さを感じていました。

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