私の還暦過去帳(168)
1月29日は旧暦の正月です。
福岡県人会の新年会に出掛けて行きました。
私は戦前の台湾生まれですが、父の本籍が福岡ですから、県人会に参
加しています。
毎年参加人員が少なくなり、今年は25名ぐらいでしたので寂しい感
じでしたが、会場のレストランがオークランドのチャイナ・タウンで
したので、今日は混雑が最高の時で、近所にある仏教会駐車場から、
そこから歩いて中華レストランに行きました。
かなりの距離ですが賑やかな中華街を歩きますので、旧正月の真中を
歩く感じです、どこも豚の丸焼きや北京ダックやチキンのローストな
どを山と積んで販売しています。ベトナム人達も同じ旧正月を祝う様
で、特にオークランドのチャイナ・タウンでは広東系のベトナム人が
沢山に来ていた様でした。
勿論にベトナム人達も多く見かけました。沢山買物を持ち、声高く話
しながら肩を連ねて『 越南米粉麺』の看板の店にランチタイムで入っ
ていました。中は普段着の大勢の買物途中の人達が、麺を食べていま
した。
どこから来たのか大勢の東洋人がゾロゾロと歩いています、また白人
と結婚した東洋人が家族で店を覗きながら歩いていて、見るとかなり
の歳から推察すると、ベトナム戦争で出征して現地で結婚したベトナ
ム人と感じるカップルが、ひっそりとテーブルに向き合って、けん騒
の街中から遊離したかの様に、無心に食事の空間を二人で作り出して
いる感じがしました。
少し開いている食堂のドアから中が見えます、太平洋を隔てたベトナ
ムから移民して来て、カリフォルニアのこのチャイナ・タウンで
『越南米粉麺』の鉢を囲む東洋人と西洋人のカップルの姿が、現在の
麺の姿ではないかと感じます。
福岡県人会でハーモニカの伴奏で歌う新年の歌『歳の初め』を歌う老
齢の姿を見て、中で一番若いのが私であると言われて、皆はいったい
どのくらい歳かとふと感じたしだいで、同じテーブルに座っていた知
合いの女性が驚くなかれ、90歳でまだ車を運転して、今日の新年会
に来ていたとは、県知事からの表彰状を貰う姿を見て驚きと、その若
さに驚嘆しました。
いまだに戦前、アメリカに来る時に同船だった88歳の女性を誘って
来る姿は、到底は日本では見られないと感じました。今でも一年に何
回もネバダ州のリノの賭博場にカードをしに行くとは『おそれ入りま
したと~!』平伏しました。
運転はして行かないがバスで出掛けるそうです。
そして、還暦などとはまだ赤子だとのことでした。
それにも恐れ入りまして、ダンスに誘うと冗談で話していました。
彼女は『ボケ無し!、耳完全に聞こえ!カードをプレイして稼ぐそう
で、目も完全で支障無し!、車を運転してチャイナ・タウンのベトナ
ムうどんも食べに来るそうで・・・・、
『これ・・・アー!と絶句!』
昨日の日曜日、私達家族は二年ぶりに全員が再会致しました。
子供三人は全部育ってしまい、結婚した娘は当地から500kmは離
れた所に住んで居ますし、他の男兄弟二名はそれぞれ違った道を歩い
ていますので、中々全員での再会は有りませんでした。
昨日の日曜日も長男はロスに行っていましたが、12時の飛行機で
サンフランシスコに戻って来ました。丁度、コルマ日本人墓地に墓参
りを娘と次男を連れて、久々にお花を供える為に出かけていました。
そこに携帯に到着した事を知らせてきましたので、一同揃う事になり
ランチも簡単な軽い物を食べる事にしました。
バークレー大学に近い、かなり場末に近いところにある、日本の酒造
会社のすぐ近い所の、インド軽食の店に家族で行きましたが、そこは
倉庫を改造したような、中はかなり広い場所で、沢山の家族連れの
インド人達が来ていました。
隣りはインド食品店でかなり沢山のインド食材が並べて有る店でした。
まるでニユーデリーの首都のどこか西洋人が多く住んで居た場所と何
か雰囲気が似ています。去年、インドを訪問した時の事で覚えていま
した。インドに留学していた次男が、先月の歳も押し迫った12月
29日にアメリカに戻って来ました。
またインドに二ヵ年ぐらい行く計画で、その準備をしていますが、
インドの食べ物には一年半ぐらい居たのでかなり詳しくて、色々な軽
食を各種の皿を取り、家族で少しずつ食べて試食していました。
朝が遅くてまだお腹も空いてはいなくて、丁度良いぐらいの食べ物で
した。
そこで食事を済ますと、次男の発案で、サンフランシスコの美術館に
行く事になり、また橋を渡って戻りました。家族で美術館を訪れる事
などは久しぶりの事です、長男の車に全員が乗りまして、娘もそのま
まSFから自宅に戻る事無く、帰ると言う事で、小さなカバンも積み込
んで出発しました。
楽しい美術館見学も家族全員でのそぞろ歩きで話しも弾みましたが、
8時の娘の飛行機の時間に合わせて、夕食はそこから近い所にある
ベトナム料理の『越南米粉麺』を家族で食べる事にしました。
少し時間が早目で、駐車も簡単に出来ましたので、ラストランでは家族
団欒の食事が出来ました。
料理の種類はサンフランシスコでも五本指に入る、ベトナム麺を出す店
です、前菜はパパイヤ・チキンサラダ、牛肉とキャベツサラダ、揚げた
春巻き、それぞれ麺は違った種類の鉢を注文して、家族で箸を伸ばして
皿を囲み、前菜を楽しんでいました。パリパリ、しゃきしゃきと歯ごた
えのある良い油で揚げた春巻きを、レタスで包んでニョクマム味のタレ
に付けて食べます。
麺が出て来るまで、話しが弾み、二年ぶりの家族再会の楽しい時間と
なりました。湯気の出ている麺がテーブルの上に並べられると、それ
ぞれお互いに注文した麺の鉢を見せ合って、モヤシを入れるもの、香葉
をちぎって入れるもの、カラシを出して小皿に注ぐもの、家族中で興奮
と麺好きの子供達の笑顔が前に並んで、箸を持ってすくい揚げる麺の
長さに驚き、笑顔でそれを口に入れる、おどけた動作、全てが楽しい
夕食の一時となり、普段二人で食べることを考えると、家族の幸せを
身体に感じる夕食となりました。ワイフと私は海鮮麺、長男は牛スープ
の麺、次男はニョクマムのソースを掛けて食べる麺、娘はチキンのスー
プの麺をそれぞれ食べて、満足して、お腹一杯となり、幸せな気分で
食事が終りました。
近所でコーヒーを食後に飲み、娘を飛行場までサンセットの海岸道路
を走って家族でドライブして、太平洋に沈む夕日の輝きに歓声を上げ
て走り、娘を飛行場まで送り別れました。
お互いにハグして、手を振りまたの全員再会を約束して見送りました。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム