2012年2月24日金曜日

私の還暦過去帳(177)


先日の土曜日に私はシリコン・バレーの中心にあるサンノゼ市を
訪ねました。内々の仲間の集まりで、越南米粉麺の試食とお話で、
その後に全米で一番大きなベトナム系・ショッピングセンターを
見学に行きました。私は初めての訪問でワイフと興味深く見て廻
りましたが、彼等の心安らぐ場所と感じました。

私の住んでいる所から車で一時間かかります、ワイフの知合いの
ベトナム人も良く買物に訪ねるショッピングセンターだと聞きま
した。大きなスーパーも有りまして、かなりの人出があり賑わっ
ていました。

中庭と言う感じの所で、かなりの男達の人だかりがしていました。
覗くと、そこではベトナム将棋が二局ほど開かれて、丸い駒を動か
して真剣な眼差しで駒を進めていましたが、中の一人がかなりの
年配で、少し足が不自由な様でした。

そばには杖もありましたが、時々歓声を上げて駒を進めていました。
私はその時、ふと20年以上も前にアパートの管理で訪れていた
時の事を思い出していました。仕事が終ってランチを食べていた時

にそこを訪ねて来ていた人が、私に高速道路の入り口を聞いて来た
のでしたが、私が東洋人で下手な英語で教えていたので、彼ははじ
めに韓国人かと聞きましたが、私が日本人と答えると、興味がある
のか、私も第2次大戦の後に日本に居たと言っていました。

息子もベトナム戦争の時に日本に居て、日本人の恋人も居た様だと
言ってゆっくりと話していましたので、丁度食事が終り、私も食後
の時間潰しに話しを始めました。

気さくな感じの人でしたが、彼の息子はヘリコプターの操縦士で
ベトナム戦争中は救出専門のヘリを操縦していた様でした。
ある日、彼の息子は孤立した偵察部隊の救出を命令され、二機

のヘリで出掛けた時に、二機は着陸する場所がなくて、一機のみ
着陸して部隊の救出をしていた時に、彼の息子は上空で待機して
廻りのジャングルを監視して居た時に、地上からの攻撃で機体が

破損して、ジャングルに不時着して負傷した様でした。
一機のみでは全員は救助出来ないので、かなりの南ベトナム兵が
ジャングルに残り、助けに来てくれたそうで、彼の息子を支えて
安全な場所に移動して隠れたと言っていました。

救助に来て、彼等に逆に助けられたと言っていましたが、アメリ
カ兵の軍事顧問の将校と南ベトナム軍兵士で彼の息子を守って、
逃げて安全な場所まで逃れられたそうです、それはヘリが持って
きた弾薬と食料があったからと話して居ましたが、当時の南ベト
ナム兵が現在はアメリカに移住して来て、再会してその内の二名
とサンノゼで会った様でした。

息子はこのアパートに住んで居ると言っていましたが、戦場からの
長い付き合いの固さを感じました。沢山のベトナム人の姿を見て、
その中には昔、戦場で苦しい戦いをして来た人も居ることを感じて
何か今の世界が、平和な将棋の盤での戦いで歓声を上げている世界
を見ていると、不思議な感じがしました。

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