2012年3月3日土曜日

私の還暦過去帳(185)

  
  国家における国民としての国籍の条件。

この地球上に国家として国が存在する事は、国民としての義務が
一個人として、多種に渡って科せられると言う事になります。
我々が現在の世界で、多国籍化した国際社会と経済を見て、限り
ある動植物、鉱物資源とエネルギー資源、環境資源などを見ると

もはや、この過去百年が激変の世紀であった事を示している。

この事を考えて理解すると、『もはや日本国家の将来はいかに!』
と言う事を真剣に各自の心に受けとめて考えて、思考の根本とせねば
ならないと感じる。もはや垣根という国境が崩れ始めた国家間では、

50年も前に、故杉野忠夫氏が論文の中で述べられていた世界が到来
して来た。その予測の真剣な声は無視され、その解決を託した『種子』
をこの世に播いて45年も前に亡くなられたが、それが現実となり見
えて来た。

人間と言う個人的集団の民族的な人間関係が、国家を超えて巨大な権
力と政治力を発揮する様に成った事は見逃す事は出来ない。 中国人が
現在海外で移住して居を構えて生活している数は約3千5百万と言わ
れ、華僑、客家という集団は国家と言う権力も手に入れている。

インド人としても約2千万人が海外で居住して世界各国での勢力を増
している、今では日本の大手町でインド人と昼休みにすれ違う事は珍
しくはない、殆どがIT関連の専門家である。日本でソフト開発をして
居ると話しを聞いた事がある。アメリカでは現在約100万人のイン
ド人ソフトウエア―の技術者が仕事をしている。シリコン・バレーで

も新規創業7社に1社はインド人の会社である事を考えると、いかに
現代社会の根幹のITを担う世代を握っているかと言う事である。全米
のIT中小企業企業の25%は米系インド人の創業で運営されている。
これからの世界が政治が、経済が、また軍事力が、そして核の開発研
究においてITが無ければ何も用はなされない。

海外で、世界での民族移動と言う事は自国を軍事力を無くして勢力拡
張出来る一番の平和的な道である。ユダヤ民族もそうであるが決して
見過ごしてはなら無い。彼等が世界のあらゆる地域で『印僑』『華僑』
を相手に見えない戦いをしている、彼等が背負っているのは『民族的
な国籍』である。

日本人は決してその事を忘れてはいけない・・!

『民族とは国家なり!』

彼等が居住する国の国籍を持っても、DNAという遺伝子に組み込まれ
た祖国の国籍はいかにしても消す事は出来無いのである。しかし日本
ではそれを否定して、拒否して、うやむやの道に先送りして、もはや
経済では人的不足と知的資源の貧困とを兼ね備え、亡国の道を歩き始
めている。もはや移民国家の到来の警鐘が鳴り響いているが、政治の

世界では防音壁という法律の鉄壁を作り、耳を塞ぎ、目を閉じて、
2050年には人口半減の危機さえ見ようとはしない。全ては戦後教
育のその場主義、ことなかれ主義、先送り主義、官僚の権威主義の悪
癖に『ゆとり教育』『教育時間削減』国家・国民を教えない官尊民卑
の根幹教育がもはや救いが無い状況となっていると思われて来た。

現在の日本社会が『勝ち組みと負け組み』とに分類されて、格差社会
の富のアンバランスを助長して、政府の経済回復の余裕は全て裕福層
に吸い取られ、貯蓄も無い世帯の激増は、縦並び社会で、ネット株長
者が1000億稼いでも10%の分離課税で済ませられる日本は、給

料所得者が最高税率50%をも源泉徴収でもぎ取り、(1800万円
以上の所得者)。会社企業の国外脱出を見過ごし、移民、技術労働者の
制限をして、もはや日本に何が残るか、爺と成り果てた老移民が叫ぶ
言葉ではもう何も有り得無い。もう一度考えなおして、教育の原点に
戻り、これからの世代を育て、新しい教育を施さなければならないと
考える。

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