2012年3月1日木曜日

私の還暦過去帳(183)

今日のサンフランシスコ沿岸は曇り時々晴れと言う感じです。
先月から降り続いた長雨で、どこも緑濃いい景色が見られますが、
夏が思い悩まれます、草木の成長が良い年は、夏に山火事の危険が有
ります。先日もラジオがその心配の特集をしていました。

山には記録的な13.5mの積雪がある場所があちこちで見られ、そ
の雪もかなりの水分が多く含んでいるとの事で、雪解けの洪水危険が
叫ばれています、今から放水や貯水池の汲み出しをしていますが5月
から6月までは注意が必要です。

私がアルゼンチン奥地で農業をしていた頃に、ボリビアの奥地で大雨
が降ると、何百キロの下流でも注意報が出ていました。 濁流が突然
に鉄砲水となり、流れて来るからでした。100mくらいの河幅が有
りましたが、ブエノスから1300kmは上流です、ラプラタ

河の支流でしたが、地鳴りとなるような凄まじい水音がして流れます
ので自然の驚異として見ていました。流木も凄くて、かなり大きな木
が流れて来るのが分りました。私が居た農場の近くが丁度河の緩い
カーブの有る所でしたので、岩盤の崖にぶち当たる水の凄まじい音と
轟音がかなり遠くまで聞えていました。

その濁流が始まるとインジオのチャワンコ族が良くモリを使ってかな
り大きな魚を取っていました。モリの先は尖って、牛の角を削りその
ばねを利用して魚を突くモリの返しを作り、先は獲物に命中して刺さ
ったら先が取れるしかけでした。彼等インジオ達が狙うのは大型の
ナマズが多かった様でした。

スルビーという鯉に似た大きな魚もモリで突いていました。長さが
4mぐらいの竹などでモリの槍で構えて、先のモリは紐を付けて有り、
腰に巻いていました。しかし百キロもある大ナマズを仕留めると身体
が河に引き込まれて紐をナイフで切り、助かったと聞いた事が有りま

す。チャワンコ族は河岸に住んで農耕と魚取りで生活しています、
農耕と言っても、トウモロコシやカボチャ、マンジョウカ芋などを作
り、バナナやパパイヤなども家の廻りに植えていました。モンゴロイ
ドの顔で、中にはまったく昔の日本で、近所に住んでいた女の子と感
じが似ている女性もいました。

真っ黒な髪と丸顔のどことなく東洋人とそっくりの顔立ちに、親密感
を持っていました。 魚が取れるとその夕方はどこでも、その料理の匂
いがしていました。農場の売店にも食料油をビンをもって買いに来て
いましたが、大抵はフライで食べて居たようです、岩塩を潰して、

ガーリックをおろして魚に漬けて、小麦粉をまぶして揚げていた様で
す、揚げたての熱々の魚にレモンを絞り、カンニャー の酒を飲むのも
楽しいものでした。私はレモン醤油が好きでした。

晩酌の後にトマトとジャガイモを沢山入れたナマズのスープを食べる
のが楽しみで、インジオが遠くで吹く竹笛が聞えて・・・・、

『ここはお国から遠いアルゼンチン・・、南十字星の空の下で・・・』
と替え歌を歌っていました。

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