2012年3月8日木曜日

私の還暦過去帳(189)

私がこの歳になり、昔の仕事で雇った人達を思い出して居ました。
南米時代ではかなりの人間を雇いましたので、その雑多な人間関係を
思い出します、ボリビア国境近いアルゼンチンのサルタ州です。

農場では一番多かったのが、近所のインジオ達でした。
マタッコ族、チャワンコ族、ツーバ族(これはボリビア国境の近所から
来ていた様でした。)チャコ地方から来た、チャケーニオ、パラグワイ
からも来ていました。

これは距離的に離れていますので、犯罪者が逃げて来ていた事が有り
ました。それからボリビア人などは、かなり技術を持っている者も居
ました。車の整備工や大工など来ていました。

私がアメリカに来てからはヒスパニック系が一番多くて、次ぎが韓国人
でした。昔、アルゼンチンが軍事政権時代に逃れて来ていたアルゼンチ
ン人を雇った事が一度有ります。

一番多いのはメキシコ人ですが、ユカタン半島近くから来ていた人が多
かった様です。その他は雑多になりますが、アメリカの移民社会をその
まま当てはめた様な感じで、色々な国から来た人が働いていました。

ベトナム人、タイ人、中国人、カンボジア人、アフガニスタン人、
パキスタン人 フイリピン人、ガテマラ、ニカラグワ、などの中南米系
が多くて私が覚えているのはこのくらいです。30年間の間に良くも、
まあー!と思います。全部がブルーカラーと言う職人さん達です。

先週もお客の人が野菜畑の植え付けを監督して、誰か雇って仕事をさし
てくれと言う、85歳になる方から頼まれましたので、一人捜してきま
した。市が日雇いの斡旋をしていますので、そこから連れて来ました。
ガテマラ国境近いメキシコから来た32歳の男でした。

田舎には五人の子供と奥さんが居ると話していましたが、いまだに
電気や水道も無くて、娯楽は小さなバッテリーで可動するラジオだけと
話していました。彼が住んで居る所では日給は一日/4ドルから良くて
5ドル程度だそうです。アメリカでは時給が10ドルから12ドルには
なるそうで、メキシコで彼が住んで居る町では週/50ドルぐらいほど

稼ぐのでしたら、御の字が付くと話していました。その話しを聞いた
途端に私は『シュ-ン!』として考えてしまいました。

5月1日の街頭で多くのヒスパニック系が街頭デモをして歩いていま
した。アメリカの星条旗とメキシコの国旗を打ち振りながら、沢山の
移民法改正案反対のデモです、彼等の力とその生活力を見せ付けられ
る、アメリカに来て初めての光景でした。

どこから来たかと感じるくらいの人数でした。それだけ沢山の人達が
この私が住んで居る町にも居ると言う事でした。ここはカリフォルニア
です、それからしたら日本人などは数の内にも入らない部類と思いました。
それだけ日本は平和で、豊かで、安全な社会だからと感じます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム