2012年3月19日月曜日

私の還暦過去帳(199)


河野太郎法務副大臣に苦言啓上。
(これは前に河野太郎氏が法務副大臣時代に彼に送ったものです。)

今般では、時勢の変わりの早き事なりで、河野法務副大臣殿のお言葉
が各新聞、マスコミでの報道で日本国に広く伝わりまして貴殿の発言
が各部問題の深部からの取り上げられた問題ではなくて、表面に出て
いるありきたりの問題が、一般世論に融合するごとき態での、世論喚

起的提言の有様は貴殿の経歴を知る者として苦言を啓上致したく一筆
認めております。先ず貴殿の経歴から精察すると、戦後の繁栄期の申
し子で、移民、移住などは一度も肌で感じたことも無くて、貴殿が

アメリカで勉学された比較政治学は政治形態における社会学の相互比
較と検証の学問では、移住行政で、過去の移住事業団での警察官僚の
天下り人が、場違い的な場所で、場違い的な推察と検索とでの比較対
象した理論観と同じ判断では無いかと疑るのであります。

貴殿が養育受けた慶応ボーイ的な幼年教育からして、生活にその
日の糧を得る為に、地を這うようにして生きて来た人種の生き様を
計る天秤を、お持ちでは無いと確信いたします。

ブラジルで二世になり、また三世になりながら貧乏と貧困と言う環境
から抜け出せない日系人が多くいる事もご存知無い様で、これ遺憾
と言わざる事に成ります。貴方の発言は、多くの国民の信託を受けて
公になる言葉です。もしかすると百年もの後に残る言葉かも知れません。

もはや貴殿のお言葉は、国家としての 国家が考えること、外国人入国
管理の改革を検討している法務省のプロジェクト・チームの河野太郎副
大臣の発言となります、1923年10月にブラジルでレイス国会議員
が下院に提出した移民法案とまさに同じ排他的、差別的と証された法案
の数価とまさに同じ『3%』です。

同法案は、黒人の入国は全面禁止、アジア系黄色人種は当時1923年
での数価の3%に制限するというものであり、河野太郎副大臣の率いる
委員会の試案は総人口に対する定住外国人の上限を、3%にするという
ものであるが、これはまさに国家が考える、また政府が試案するという
数価が、3%と同じ事は、まさに、この案件をご利用になったかと疑り
たくなります。

この様な、排他的、差別的な法案をご利用になれば、言う事はまさに驚
きの限りです。そして軽軽しく『日系人の受け入れは失敗だった』など
と言及したのは、公人としての資質もこれ疑わしい限りといわざるを得
ません。
なすべき事も果さず、なすべき問題も研究する事無く、対応も無くて、
この事はすでに20年と言う月日の積み重ねの上に有る事などです。
20年前といえば貴殿は親のスネをかじって優雅に勉学に励んでおられ
た時代です。
その頃から日系人は日本人がやりたがらない3Kという仕事をして、
『棄民の出稼ぎ』と陰口を言われながら日本国、日本の社会を底辺で支
えていた事を忘れないで下さい。

ブラジルのレイス国会議員の提案は、欧州系の移民についてはおかまい
なしだったから、背景にあるのは公然とした『人種差別』と感じられ
るが貴殿の言葉の端から、三世などの家族としての非日系人の混同が、
日本国内の治安を悪化させる者としての、排斥理由と感じられます。

それにより『日本語を話し、定職を持つ者で且つ又、ブラジルなどで
無犯罪の経歴を持つ者』と試案が成ったと勘ぐられていますが、あなが
ち外れとは思えない感じが致します。

貴殿のお言葉はすでに公人としての発言となり、いかに試案と言えども
すでに日本国内だけで、ブラジルからの出稼ぎ労務者は27万人近くと
なり、簡単に言葉での提案としては、無作法と思います。なぜかと言え

ば貴殿の言葉を聞く大多数の日本人は『その話しを真に受けて』貴殿が
世論を不当に形成して、信じさせる役割を果したと感じられるからで
す。いかに大臣と言えども『言は選んで、謹んで発言しなくては成り
ません』それが公人としての責務ですから!

以下は河野太郎法務副大臣のインターネット検索からの経歴です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E




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