2012年3月11日日曜日

私の還暦過去帳(192)

旅に出ると必ず泊まるところを捜すのに苦労致します。
長旅で、金も無くて、まして雨が多かったりしたら、これこそ大変で
す、晴れた天気が続いて、どこでも一人用テントに入り、寝られるよ
うな環境でしたら文句は有りません。特に日本では夏休みなどは予約

のお客で旅館やユースホテルなどは先ず無理です、特に雨が降れば
他にも多くの旅行者が居ますから、旅館は5人ぐらい一部屋に入れて
朝食など、簡単な物を出して、シーズン時はかなり取られます。
雨が降る時は、野宿に近いテント泊では無理ですから、いつも宿捜し
に苦労致しました。

50年ぐらい前でしたが学生時代は夜は鈍行の普通列車に乗り、車中
で寝る様していました。かなりガラガラで横になって寝る事が出来ま
した。 これで宿代が節約出来ました。一度目が覚めたら、朝の通勤、
通学列車となっいたのには驚きました。中学生ぐらいの学生が笑って
見ていました。目が覚めるまでベンチを占領して寝て居たようでした。

私が姫路城を見物に行った時でした、駅を降りたら、あいにくの雨で
姫路駅から外に出られない様な雨が降っていました。お城見学は翌朝
まで待たなくてはなりません、夜の11時過ぎていて、泊まる所を捜
していましたが、どこも宿泊代が高くて、それと遅い時間帯で満員で
した。
やっと場末に安宿を見付けて、値段を聞いたら、まずまずでした。
しかしそれは酷い旅館で、世間で言う『連れ込み旅館』でした。駅裏
の飲み屋街の外れで、その方達のご利用される宿でした。素泊まりで
部屋にはお茶も出ません、布団は安布団でくたびれていました。
外は雨でそんなことに贅沢は言えず、かまって居られません、しかし、

前金を払い部屋に入ると、まだ化粧の匂いが残り、使用済みのチリ紙
が、屑かごにゴッテリと残っていました。
トイレも外の共同トイレでしたが、直ぐに旅の疲れからか寝てしまい
ました。翌朝起きて、明るい日の下で見た方がもっと酷かった感じで
した。
鳥羽の真珠島などを見物に行った時でした。これも天気が崩れると言
う予報で旅館に泊まる事にしました。田舎の普通、民家と同じ感じの
家でした。 入り口に小さく旅館と看板があるだけで、家族で経営して
いる様で、部屋数も余り有りませんでした。しかし親切にしてくれ、
食事も腹を空かした学生が食べても十分でした。

部屋にはTVも無くて、火鉢とお茶入れがあるだけで、あとは座布団
と小さな机が有り、それで全部でした。寝るには時間的に早いので、
歩いて2分ぐらいの所に映画館があり、最終の割引ナイト・ショーを
見にいきました。黒澤監督の私が好きな映画でした。パラパラと観客
がいる場末の映画館でしたが、足を伸ばしてのんびりと見ていました。
売店で買った『酢昆布』の駄菓子を食べながらラムネを飲んで、今で
もその時を思い出します。古き良き時代の面影がある映画館でした。

終って旅館に帰って来たら、まだお風呂も沸してありましたので、
ゆっくりと熱い風呂に入り、布団に入った覚えが有ります。
次回に続く。

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